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時代によって変化させる白石監督の手腕

Q:今回、世界観やルールはどう変わっているんでしょうか?

A:シリーズの根底にある“異世界の存在”みたいなものは変わってなくて、人間の意思とか想像力みたいなものが異世界に力を与えて、こちら側の世界に滲み出てきているみたいなイメージは共通しています。

まず変えたのは工藤と市川の設定ですね。工藤がプロデューサーで、市川をディレクターに変えました。市川役の久保山(智夏)さんも年齢が30を過ぎて、もうADのイメージではなくなったというのもありました。

あと世界線を変えるにあたって、今までのキャラクターと同じだとちょっと面白くないというのはありました。やっぱり、今作る映画としての「女性の描き方」みたいなところも考えたかったんです。

今回の市川は、工藤に対抗できるだけの、精神力だけじゃなくて、腕っ節も持っている。なんなら工藤を叩き伏せられるぐらいにしています。それはAD時代からそうだという設定で、AD時代に現場で工藤を殴って眼窩底骨折させたというエピソードも入れました(笑)。工藤は「超コワすぎ!」では最初のシリーズに比べてもうちょっと悪辣というか。

Q:「超コワすぎ!」の工藤はよりクズでしたよね。

A:自分では悪党度がちょっと高まってるという認識で、その分ダイナミックなこともやるぞ、みたいな感じもあったんです。でも今回はもうちょっと「コワすぎ!」の頃に近い、最低限の人情味は持っている工藤に戻しました。なぜなら1本で完結させるんで、あんまりヒドいとお客さんが好きなキャラクターになれない。

で、かつ市川に負ける程度の腕っぷしで、『ゴーストハンターズ』のカート・ラッセルみたいに勢いだけはいいイメージですね(笑)。

Q:いろんな世界線で悪行を重ねてきた工藤が、自分自身の業に向き合ってケリをつける話になっていますよね。

A:工藤は全「コワすぎ!」シリーズを通じて因果みたいなものを抱えているキャラクターで、ともすれば今回の工藤も「超コワすぎ!」のような工藤にもなりうる存在だと思うんです。どんな人間であれ、恐ろしいこととか、酷いこととかを何かのきっかけでやってしまう可能性は秘めていると思っていて、それを反映させています。

あと今回は、虐げられる女性みたいなものに対して、虐げてきた男がどう対応するのか、あるいは虐げる可 能性のある男はどう対応すべきかみたいなところをやりたいという考えはありました。そういうところが 今までの「コワすぎ!」とはちょっと違う。

もうちょっと直接的というか、身近と言ってもいいと思うんで すけど。虐げられている女性に今どう向き合っていけばいいのかっていうテーマを取り入れました。社会性 は今までも隠して忍ばせてあったんですけど、もうちょっと顕著に描いているところがやっぱり違いますね。

Q:時代の変化とともに白石監督の中でも感覚や価値観が変わってきて、作品にも変化が起きているんでしょうか?

A:自分が変化したというのはあると思います。やっぱり虐げられた人の声とか言葉をネットで見たり、直接聞いたこともある身として、まあ、怒りですよ。怒りを作品に込めたっていうのはすごくあります。怒りと、あと「ちゃんとしてよ! 」みたいな。

自分も監督という立場で、パワハラはほとんどないと思いますが、セクハラ、女性スタッフに下ネタ言ったりしたことは昔あるので、あれはダメだったなと申し訳なく思ってまして。こっちは冗談でも、向こうは権力によって虐げられるのを感じたのだろうなと。権力の横暴って、自分は心底大嫌いなのに、人にやっていたんだなと。

Q:それこそ「フェイクドキュメンタリーの教科書」のおまけDVDに収録されていた短編「白石晃士の世界征服宣言」は、監督自身がパワハラとセクハラをするフェイクドキュメンタリーでしたよね。

A:そうですね。ある意味で自分のパロディーでもあるし、自分への戒めでもありますね。そういう意味では「コワすぎ!」の田代も『オカルト』の白石も『オカルトの森へようこそ』の黒石も、自分が演じたものは全て自分を誇張したパロディーになっていると思います。だいたい、強い者には従って弱い者に強く出る、臆病で卑屈なクソ野郎ですね(笑)。

話を戻しますと、セクハラやパワハラに手を染めた人が、全然悪いことだと思ってなくて、今でも非を認めないみたいなことに非常にもどかしいものがあるんです。やっぱりそんな自分自身に怒りを持つべきなんじゃないかという気持ちを、今回の工藤に託したところはあります。

Q:工藤が異世界から来た邪悪な自分に対して「俺はお前をぶっ殺す、何度でもな」っていうセリフもありました。

A:そうですね。自分の中からなにか黒いものがむくむくと出てきても、何度でもそれをぶち殺していこうじゃないかっていう気持ちですよね。

Q:白石監督の過去作では、わりと暗い衝動に身を任せる人を、ジャッジすることなく際どいところまで踏み込んで描くことが多かったと思うんです。ただ今回は、許せないことは許さないぞという決意表明にも感じました。今回の市川も、過去シリーズでは殴られていた人が「もう絶対私のことは殴らせない! 」くらいの覚悟を感じますし。

A:そうですね。そこまで自覚があって作っているかというと、もうちょっと自然にキャラクターに任せた結果ではあるんですが、自分の無意識が反映されたところはすごくあると思います。

いつもキャラクターがこういうふうに動いて、こんなふうにしゃべってくれたらグッとくるな、みたいなことを考えながら脚本を書いてるんですが、今回もそうしていたらこんな形になったっていう感じですね。

ただ書きながら、断片的に現実のなにかのイメージを重ねたりとか、誰かの顔を重ねたりとかはありました。あるいは自分は重ねたりしたところも。特にこの業界内の不甲斐ない対応を見ていて「いや、それだと前に進めないじゃないですか! 」っていう残念さはすごくあります。

Q:そういう気持ちがクズだった工藤に託されたことで、これでシリーズが終われるんだなという感慨がありまし
た。

A:正直そこまでは考えてなかったんですが、要するに「自分の中のダメな部分をちゃんと見ようよ」っていうことですかね。自分だってロクでもない部分がたくさんあるどうしようもない人間だと思ってるんですけど、でも自分はそういう人間なんだと認めながら、誰かを傷つける可能性のあるものが表現であることも理解しながら、自覚なく不用意に誰かを嫌な目に合わせないようにしたい、という思いはすごくあって。

そういう気持ちが作品に反映されているところはあると思います。問題になっている人たちへも向けられた気持ちです。ただ、自覚を持って挑発や尖った表現をすることはもちろんこれからもありますけども。

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