自分に嘘をつき記憶を改ざんする
人間の愚かさと憎めなさ
レナードは、病気に苦しみながらも、自らの信念を貫き通そうと躍起になる。しかし、本作の終盤では、彼にとって犯人の追跡は正義の遂行でも復讐でもなんでもなく、ただ自分の行いの正当性を補強しているにすぎないという真実が明らかになる。周囲の人物が彼に嘘をつくように、レナードもまた、自分自身に嘘をついているのだ。
この真実はあまりに残酷で、身もふたもないものだ。しかし、本作を観た人は、レナードに自分を投影し、心の底から彼を責めることができないに違いない。だからこそレナードは、多くの観客の心に残るキャラクターとなったのだ。
では、なぜ私たちはレナードに自分を投影してしまうのか。それは、私たちが皆、日頃から自分に嘘をつきながら生きており、それを薄々認識しているからだ。
レナードは、自分の成功やエゴではなく、過去の記憶そのものを捏造する。彼は初めから謎の答えを知っているが、残酷な現実から逃避し、ファンタジーの世界で生き永らえるために、自身の脳の障害を利用して嘘をつき続ける。
レナードも、私たち同様、自分の行動に意味があると思っている。いや、正確には意味を”見出したいと願っている”。本作では、自身の行動を正当化するための認知バイアスが、記憶障害すら超越するほど強いものであることを表している。
はじめから答えを知っているレナードには、本来復讐心も謎解きも必要ない。彼は脳に障害を負ったただの一成人男性であり、この世に居場所はない。
しかし、彼はこの過酷な現実を直視できない。そのため彼は辛い過去の記憶を抑圧し、「サミー」という架空の人物をでっち上げたのだ。