『ファイト・クラブ』 演出の魅力
『セブン』で脚光を浴びたデビッド・フィンチャーが、ハリウッドで揺るがぬ地位を確立した監督4作目。
奇しくも、本作が公開された1999年は長らく映画界屈指の個性派監督として知られたスタンリー・キューブリックが逝去した年でもある。完璧主義者という点でキューブリックと共通するフィンチャーは、娯楽性と実験性をミックスしたスタイルで本作をヒットに導き、一躍「ポスト・キューブリック」の筆頭に躍り出た。
しがないサラリーマンが、屈強で魅力的な男に感化され、社会から逸脱していく過程は、生真面目さから程遠い、皮肉たっぷりなタッチで描かれる。
終盤の駐車場での殴り合いでは、タイラー(ブラッド・ピット)が「僕」(エドワード・ノートン)の頭を掴んだ直後、ごっそり抜けた髪の毛を一吹きするなど、随所でふざけたアクションが挟まれ、観る者に乾いた笑いをもたらす。
また、所々でサブリミナル効果が使われている。サブリミナル効果とは、ひと繋がりの映像に別の映像をほんの一瞬だけ挿入することで、観る者の潜在意識に影響を与えること。
本作では「僕」が会社でコピーをとるシーン、病院で医者と会話をするシーンにおいて、タイラーの映像がフラッシュ的に挟み込まれる。また、ラストカットには裸の男性の下半身が一コマだけ混入しており、それは映写技師だったタイラーが劇中で行っていた遊びでもある。
本作の狙いは、手の込んだ演出で観る者を魅了=洗脳するというよりかは、演出手法自体を誇張し、陳腐なものとして示すことで、ネタ的に消費されることを望んでいるようである。
遊戯的な演出が際立つ一方、「僕」の体内から始まり、口に押し当てられた拳銃の中を通り抜け、情景全体を映し出すオープニングのCGを駆使した長回しカットは、手が込んでおり、極めて魅力的である。