“時間の魔術師”ことノーラン演出の原点がここに
メガホンをとったのは、1970年生まれのイギリス出身の映画監督、クリストファー・ノーラン。監督第2作目となる本作は、ストーリーを終わりから始まりへ、時系列を逆向きに映し出していく斬新なスタイルで、記憶障害を患う男が妻を殺した犯人を追う姿が描かれる。
主人公のレナードは強盗の襲撃によって妻を失い、頭部に損傷を受け、10分間しか記憶を保てない。記憶障害を患ったキャラクターが登場する映画は、これまでもレイモンド・チャンドラー原作の『青い戦慄』(1945)、記憶をなくした暗殺者を主人公とする『ボーン・アイデンティティ』(2003)など、複数のジャンルにわたり数多く作られてきた。
しかし、記憶障害を抱えた人物の知覚、混沌とした世界の見え方を擬似的に体験させるという点において、本作の右に出る作品はないだろう。ノーランはモノクロ映像とカラー映像を不規則に組み合わせることで、観る者を迷宮のような世界に誘う。
結果から原因へ、シーンの時系列を逆向きに映し出すカラーパートに対し、モノクロパートは主人公の境遇が時系列順に描かれており、最終的にカラーパートへと合流する仕掛けとなっている。モノクロパートのラストは、カラーパートのラスト(出来事の始まり)につながるようになっており、物語の真の終わりは、映画冒頭に描かれたテディ(ジョー・パントリアーノ)の死体をポラロイドカメラで映すシーンである。
画面に示されるすべての情報が真偽不明の断片として投げ出されることで、観客は次第に主人公・レナードの神経症的なビジョンを共有するようになる。レナードに甘い言葉をささやく登場人物たちは、嘘をついているのか、真実を告げているのか、それとも…。
レナードは記憶をつなぎとめるために、新しく得た情報をポラロイドカメラで記録し、メモ紙に文字を書きつけ、タトゥーを身体に彫りつける。デジタル機器を用いず、きわめてアナログな手段で記憶の痕跡を残そうとする主人公の部屋や身体は、場面によってダイナミックに変化する。
また、死体を写したポラロイド写真が徐々に真っ白になっていくオープニングカットは、撮影してから画が出るまでに時間がかかる、ポラロイドカメラのアナログ性を活かして、時系列が逆行する物語の形式を視覚的に表現している。
一見、映画ならではの秀抜なアイデアに思えるが、言うまでもなく、主人公が負っている障害は、10分間しか記憶を保てないというものであり、彼は決して、逆行する時間に身を置く特別な存在であるわけではない。つまり本作において、物語の内容と形式は必ずしも一致しておらず、観る者によっては、物語の理解を阻もうとする、作り手の過剰な演出に鼻白むかもしれない。
ちなみに、「逆行する時間」というアイデアは、2022年現在のクリストファー・ノーランの最新作『TENET/テネット』のモチーフでもある。『TENET/テネット』では現代物理学の知見を取り入れ、SF的な装置を登場させることで、過去と未来が交錯する複雑な物語を展開。アナログな仕掛けによって「逆行する時間」を表現した本作と比べて観ると、ノーランの映画表現の深化が手に取るようにわかるだろう。