すべてはアーサーの妄想だった?~演出の魅力~
第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)を受賞。監督を務めたのは、『ハングオーバー!』シリーズのプロデューサー兼監督として知られるトッド・フィリップスである。コメディ映画の演出に定評のある人物だが、キャリア初期には夭折したパンク歌手・GGアリンのドキュメンタリーを手掛けており、社会から逸脱するアウトローへの眼差しは、本作でも健在だ。
描かれるのは、コメディアンとしての成功を夢みる孤独な青年が、突発的に行った殺害行為をきっかけに自己肯定感を高め、悪の魅力に傾斜していく過程である。観客を楽しませたいという主人公・アーサー(ホアキン・フェニックス)の欲望は次第にねじれ、人々の引きつった笑いや、悲鳴を求めるようになる。
特筆すべきは、悪に目覚める前のアーサーは露骨なほど惨めに描かれ、後半にかけてスローモーションを駆使した審美的な演出が増え、主人公がカッコよく表現されていく点である。物語が進行するにつれ、登場人物の変化を客観的に観察する視点は失われ、良く言えばドラマティック、悪く言えば視野狭窄的で、自己中心的な世界に突入するのだ。
本作では随所に時計を映したカットが挿入されており、針はことごとく「11時11分」を指していることから、「劇中で描かれることのすべてはアーサーの妄想だった」と解釈することも可能である。とはいえ、だからといって視野狭窄的で、自己中心的な世界観であるという点では変わらない。
一方、アーサーが起こした事件が犯人不明のまま、鬱憤を溜めた市民によってカリスマ的な人気を集めていく描写は、各国で格差問題が深刻化する昨今、奇妙な説得力がある。その点、浮世離れしたDC実写映画の中では最も時局性があり、地に足の着いた作品であると言えるかもしれない。