暴力シーンを美しく活写する映像の危険な魅力
舞台は架空の犯罪都市・ゴッサムシティだが、1970〜80年代のニューヨークの街並みを視覚的なモチーフとしており、レトロチックな映像の質感に目を奪われる。道を走る車から排出される煙、煤で汚れた街の看板や地面に散らばったゴミ屑などがディテール豊かに活写されており、街の雰囲気をしっかりと伝えている。
薄汚れた職場のロッカールーム、煌びやかなパーティー会場やテレビ局のスタジオ、そして白色が強調された精神病院。物語が進展するにつれ、アーサーは様々な環境に身を置くことになるが、それぞれ異なるライティングが施されており、照明の力によってその表情は多面性を帯びる。最初の殺人が行われる地下鉄のシーンでは、間欠的に画面が真っ暗になり、主人公の不安な心情を巧みに表現している。
また、アーサーが舞台に立つシーンでも、彼の心情を際立たせるライティングが見られる。このシーンでは、ソフィー以外の観客の顔は影に覆われており、表情が判別できない。顔が隠されることで、観客の笑い声はこれでもかと強調され、観る者はアーサーの心情にスッと共感を寄せることができるのだ。
『ハングオーバー!』シリーズの撮影で知られるローレンス・シャーのカメラは、暴力描写でも冴えを見せる。アーサーが自室で元同僚のランドルを殺害するシーンでは、フィックス(固定)ショットとブレを伴う手持ちカットを巧妙に組み合わせている。アーサーの激しい動きにフォーカスがブレ、安定した構図が乱れることによって、身の毛もよだつ臨場感が繊細に作り上げられている。
一方、返り血を浴びて壁に寄りかかるアーサーの様子は極めてアーティスティックなトーンで撮影されており、暴力を無批判的に美しく描き上げているのも事実。本作のテクニカルで美しい映像は、諸刃の剣でもあるのだ。