知られざる史実と素顔『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』 公開記念トークイベントオフィシャルレポート到着
ロックンロールの偉大なる創設者のひとり、リトル・リチャードの知られざる史実と素顔を描く感動のヒューマンドキュメンタリー『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』の公開を記念して、3月9日(土)にシンガーソングライター・ラジオDJの臼井ミトン、音楽ジャーナリストの高橋芳朗をゲストに迎えてトークイベントが開催された。
ビートルズもストーンズもプレスリーも。
すべては彼から始まった!
1997年1月27日、米ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで開かれた第24回アメリカン・ミュージック・アウォードにて、ひとりのレジェンド・ミュージシャンに功労賞が贈られた。音楽業界の仲間たちからの万雷の拍手に迎えられ、ステージに上がり涙ぐむ当時64歳の彼にとって、まさにそれは長年の努力と苦労が報われた瞬間なのであった!
その名はリトル・リチャード。本名リチャード・ウェイン・ペニマン。1950年代半ばに彗星のように音楽シーンに現れ、後進のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えたこの革新的な黒人ミュージシャンは、一体どのような生い立ちを経て、その名を世界に刻んでいったのか。
ビートルズもストーンズも。ボウイもフレディもプリンスも。JBもジミヘンも、そしてプレスリーまでもが彼に憧れ、敬愛し、真似た!現代ロックの誕生を導き、あらゆる困難と闘った偉人、その知られざる史実と素顔とは?
1955年、デビュー・シングル「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで世に出ると、リトル・リチャードはヒット曲を連発して反権力志向の若者の心をつかみ、まさにイナズマのような活躍をみせるも突如引退を宣言。そこから5年の「教会への回帰」を経て、復帰後はイギリス・ツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な刺激と影響を与えていく。
立ったままでピアノを弾き、左手でブギウギを、右手では打楽器的打鍵を披露。激しいリズムを背景に、叫ぶように歌ったかと思えば、ピアノの上に立ち、衣服を脱ぎ捨ててステージを縦横無尽に駆けめぐる。今ではすっかり当たり前になっているパフォーマンスの数々が約70年前にひとりの黒人シンガーソングライターによって創造されたのだ。さらに近年ではLGBTQ+(クイア)の先駆者としても再評価されている。
本作の公開を記念して、3月9日(土)にトークイベントが開催。シンガーソングライター・ラジオDJの臼井ミトン、音楽ジャーナリストの高橋芳朗をゲストに迎えてのトークが繰り広げられた。
臼井ミトン×高橋芳朗
トークイベント
映画『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』公開記念舞台挨拶が3月9日、シネマート新宿にて開催され、シンガーソングライター・ラジオDJの臼井ミトン、音楽ジャーナリストの高橋芳朗がトークショーを行った。
本作は、1950年代半ばに彗星のごとく音楽シーンに現れ、ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、デイヴィッド・ボーイなど偉大なるミュージシャンたちに多大なる影響を与え、自らをロックンロールの創造主と称したリトル・リチャードの人生を描いたドキュメンタリー。アーカイヴ映像に残されたリチャード自身の発言を軸に、リトル・リチャードの親族や関係者、識者に加えて、ミック・ジャガーやポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイら著名なミュージシャンからの証言によってリチャードという人間が綴られる。
今回のトークテーマは、映画でもあまり触れられていなかった60年代後半から70年代にかけてのアーティストとしてのリトル・リチャードの動きを曲と共に振り返るというもの。
高橋氏は「そもそも50年代に活躍したロックンロールのパイオニア、チャック・ベリーやボー・ディドリー、ジェリー・リー・ルイスのような人たちが、60年代、70年代に出した曲というのは、まともに聴かれていない」と述べると、臼井氏も「実際に60年代、70年代にビートルズが出て、そのあとシンガーソングライターの時代になって、ファンクとかソウルミュージックが出てきて、50年代の音楽があまり振り返られることがなかった時代だったので、ロックンロールのパイオニアたちは、非常に苦しい時代だった」と解説する。
そんななか、60年代後半から70年代にかけてリトル・リチャードが残した曲にはかなり格好いいものがあり、他のアーティストとは一線を画した魅力があったという。
最初に披露された曲は66年にOKEH レーベルから発売された「POOR DOG」。高橋氏は「当時のモータウンソングと比べても遜色がない。ガンガンピアノを弾いてロックのものすごいエネルギーでやっていた50年代の曲とはちょっと趣が違う」と解説すると、臼井氏も「モータウンが切り開いた都会的でポップなソウルというマーケットを意識した曲調になっています」とリトル・リチャードの順応性に着目する。
さらに「I Don’t Want to Discuss It」のイントロを披露すると、高橋氏は「イギリス人にめちゃくちゃ人気のある曲で、ロッド・スチュアートがカバーしていました」と触れ「ロックンロールのパイオニアで、ある意味でピークを過ぎたときに発表された曲を、当時の人気アーティストにリメイクされていたのは、かなりレアケース」とリトル・リチャードの影響力の大きさを強調する。
次は70年代。「REPRISE」というレーベルに移籍した後に出した「Greenwood, Mississippi」を流すと、臼井氏は「当時ものすごく流行っていたCCRというバンドを意識して書かれた曲。かなりスワンプ・ロックな風味で、いままでのロックンロールとも、60年代のポップソウルっぽい感じのどちらでもない」と、リトル・リチャードは時代に合わせて器用に音楽ジャンルを渡り歩いているアーティストであると証言する。
また1970年にリトル・リチャードがリリースしたアルバム「The Rill Thing」では、リトル・リチャードに憧れていたと語るビートルズの曲を時代に合わせてカバーしていたり、1958年にリトル・リチャードがリリースした「Keep A-Knockin’」のドラムのイントロに触れ、1970年に自身の曲をセルフオマージュした「Dew Drop Inn」を流すと、レッド・ツェッペリンの名曲「Rock and Roll」が本曲を引用していると解説するなど、いかに多くのアーティストがリトル・リチャードに影響を受け、多くの曲を引用しているかという事実を述べていた。
「80年代に入ってもリトル・リチャードの影響力は衰えることがなかった」と語る高橋氏は「『The Rill Thing』というタイトル曲は、定番のブレイクビートとして100曲以上にサンプリングされている。こうしてロックンロールパイオニアの人が、70年代に残した作品が、こうやって後々90年代とか2000年代に入ってヒップホップ的な観点から再評価されるということはほぼないんです」と特別な存在のアーティストであることを語る。
こうした特徴に加え、臼井氏も高橋氏も「歌のうまさが半端ない」と、リトル・リチャードのボーカリストとしての魅力を述べると、映画のハイライトである 1997年1月27日、米ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで開かれた第24回アメリカン・ミュージック・アウォードで功労賞受賞した際の歌唱力を絶賛していた。
【上映劇場】 ※3/4現在
シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町、立川シネマシティ、札幌シネマフロンティア、シネマ・トーラス、函館シネマアイリス、MOVIX 仙台、小山シネマロブレ、宇都宮ヒカリ座、長野相生座・ロキシー、シネマテークたかさき、シネプレックスつくば、T・ジョイ蘇我、キネマ旬報シアター、ムービル、あつぎのえいがかんkiki、静岡シネ・ギャラリー、シネマイーラ、シネ・ウインド、高田世界館、ミッドランドスクエア シネマ、アップリンク京都、シネマート心斎橋、T・ジョイ梅田、シネ・リーブル神戸、シネマ・クレール、八丁座、シネマルナティック、とさぴくシネマ、KBCシネマ、シネプレックス小倉、シアター・シエマ、T・ジョイパークプレイス大分、Denkikan、宮崎キネマ館、鹿児島ミッテ 10、桜坂劇場
【作品情報】
製作・監督:リサ・コルテス(『プレシャス』製作総指揮)
出演:リトル・リチャード、ミック・ジャガー、トム・ジョーンズ、ナイル・ロジャーズ、ノーナ・ヘンドリックス、ビリー・ポーター、ジョン・ウォーターズ
2023年/アメリカ/101分/カラー/ビスタ/5.1ch/DCP/原題:LITTLE RICHARD:I AM EVERYTHING
字幕:堀上香/字幕監修:ピーター・バラカン オリジナル・サウントトラック CD:ユニバーサル クラシックス&ジャズ
提供・配給:キングレコード 宣伝:ポイント・セット
公式サイト
シネマート新宿ほか全国絶賛公開中!!
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