映画版ならではのアプローチで掘り下げられるウォッチャーズの背景
本作でウォッチャーズと呼ばれる怪物の着想源は、かつて「妖精の国」とも呼ばれたアイルランドに古くから伝わる、妖精による「取り替え子(Changeling)」の伝承だ。それらの伝承では、人間の子どもが密かに連れ去られた時、その代わりに子どもの姿を不完全に模倣した妖精が置き去りにされる。
ウォッチャーズもまた人間の姿を学習し模倣するが、怪物たちは単に人間をさらうだけではなく、自分たちの姿を見た人間を殺害する。年内に発売されるという続編に向けた伏線としているのか、怪物たちがなぜ人間を殺めるかについてはさほど掘り下げていない原作に対して、イシャナはおそらくはその他のアイルランド民話や神話を参照することで、ウォッチャーズがなぜ人間と敵対することとなったのか、その背景を詳細に描いている。
かつて人間と平和に共存してきた妖精たちは、人間との戦争に敗れたことで地下に閉じ込められた。長い時間をかけてようやく再び地上に出てくるも、羽は退化し、森から出ることも昼に出歩くこともできなくなった。再び他の種族のように地上で生きるため、妖精たちは人間を襲うようになった。
原作のストーリー展開を踏襲しつつ同時に独自設定を組み込もうとしたせいか、追加された要素についての説明が、後半から終盤にかけて唐突に長尺で行われる形となってしまったことは、映画の完成度という点から見ると残念だったと言うほかない。
だが、現地の歴史に根差しつつクライマックスでの最大の逆転を導いたという点では、ウォッチャーズの設定をめぐる改変は、少なくとも内容に関しては意義深いものであったと言える。※
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 関連して、映画について数少ない一読に値するレビューを寄稿したニュービーは、原作以上によく練られたアイルランドの妖精伝承からの借用が、イギリスによるインド支配と重ね合わされていると指摘している。
イシャナは、人間に支配され、排除された妖精・怪物・動物の側に故郷インドを置くことで、自身の人種的なマイノリティ性をウォッチャーズにある程度投影しているだろう。だが同時に、ニュービーは言及していないものの、地下でキルマーティン教授が語る鳥かご建設の背景にも映画では若干の変更が加えられており、そこにはアメリカ建国時の先住民排除もまた緩やかに重ねられているように見える。
つまり、裕福なインド系アメリカ人であるイシャナは、搾取される側、する側双方の立場についてある意味で当事者的に言及しているとも言える。たとえばペットショップのテレビでさりげなく流れる森林破壊のニュースは、自らがアイルランドの民話や伝承をある意味で搾取してハリウッド映画という商品を生産することの比喩としても機能していると言えよう。