「セレブにはなるのは簡単だけど、リスクも大きい」
描きたかったのは“即席セレブ文化”に対する警鐘
―――カーグマン監督は俳優もやられていて、非常にシャープな役をこなす印象が強くあります。一方で話を聞くにつけ、監督業に専念したい気持ちがあるのではないか? と思いましたがいかがですか。
「私のキャリアは俳優がスタートですし、俳優精神も持っています。でも、監督をやってみたら監督の方がしっくりきたんですよ。俳優陣やスタッフとのやりとり、ロケハンにストーリーボードの作成等々撮影に向けての準備が楽しくて。『#スージー・サーチ』の元になった同名短編映画を自作自演で制作したときに、この楽しさに気がついたのです。
すべてがコントローラブルなのが監督の醍醐味といえます。カメラの動きは? フレーミングは? 撮り終わったらカラーグレーディングは? とね。その点、俳優は映画制作におけるパズルの一片。もちろん映画は彼らの存在なくしては成り立たない創作物でありますが、やはり私はパペットマスターでありたい。パペットマスターであることで、私自身の俳優欲求もみたされるんです」
―――『#スージー・サーチ』のスージーは“やりたいこと”が常にブレブレで、スージーは何がしたいのかが理解不能で混乱してしまいます。何か使命を感じているか? 承認欲求を得たいのか? 家族のためなのか?
「そもそもスージーは、幼い日のお母さんが読み聞かせていたミステリ小説の犯人を次々と言い当てた成功体験があるわけです。「私はどんな事件でも解決できる」というね。でも、いざポッドキャストを始めると誰も話を聞いてくれない。本作は、そこで彼女が思いついた行動の闇深さをサイコスリラーという形式で描いています。彼女の行動を見て感じてほしいのは、“即席セレブ文化”に対する警鐘です」
―――“即席セレブ文化”……注目を集めることが容易ということでしょうか。
「はい。大前提としてスージーは認められたいんです。承認欲求は人間が持つ自然なものです。しかし、彼女は犯人無き事件を作り出してしまう。それ自体の罪は重くなくとも、彼女の行動、そして事件の材料となったジェシーは、想定外の注目を浴びることになる。
さらにジェシーとの友情も生まれ、スージー自身も混乱していく。今の時代、セレブにはなるのは簡単ですけど、リスクも大きいんですよね。スージーも体裁を保つために右往左往し、延々と皿回しをしていく。そんな感覚を観客と共有できたらいいですね」