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セルマのアイデンティティから垣間見えるトリアーのアメリカ観~脚本の魅力

左から主演のビョーク、ラース・フォン・トリアー監督、助演のカトリーヌ・ドヌーヴ
左から主演のビョークラースフォントリアー監督助演のカトリーヌドヌーヴGetty Images

本作の物語は、大きく2つのパートがシームレスにつながっている。「現実パート」と「妄想パート」である。

「現実パート」では、病気や貧困、差別、殺人と、容赦ない現実がイルマを襲う。しかも、遺伝性の病気や嘱託殺人など、どの出来事もまるで運命づけられているかのように進んでいく。あまりに悲惨である。

しかし、「妄想パート」では一転、それまで辛気臭い顔をしていた人々が、歌と踊りを繰り広げる。これぞミュージカルと言いたくなるような多幸感にあふれたシーンであるが、セルマの「現実逃避」と考えられなくもない。

また、本作の主人公・セルマが“二重のマイノリティ”として描かれていることにも注目したい。まず彼女は、チェコからアメリカに移り住んだ移民であり、その出自ゆえに裁判で不利な状況へと追い込まれてしまう。そして彼女は、先天的な視覚障がい者でもある。この描写には、デンマーク出身のトリアーの「アメリカ観」が隠されている。

トリアーにとって、ハリウッド黄金期の礎となったミュージカル映画は、まさに夢の世界の象徴だったという。しかし、1960年代のアメリカでは、同時に絞死刑が執行されているという事実を知り、彼は大きなショックを受ける。

本作で描かれた異なる価値観を持つ者同士の“分かり合えなさ”ー。その背景には、ハリウッドという「妄想」と、死刑という「現実」を併せ呑む夢の国・アメリカの存在が大きく関わっているのかもしれない。

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