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「この狼藉こそモレッティだ」映画『チネチッタで会いましょう』が描く“居心地の悪さ”とは? 考察&評価レビュー

text by 荻野洋一

イタリアの映画作家ナンニ・モレッティの最新作『チネチッタで会いましょう』が公開中だ。本作は、時代の変化についていけず、はみ出してしまっていた映画監督が失意の後に大切なことに気づくという物語。過去のモレッティ作品を参照し、本作の魅力を深掘りするレビューをお届けする。(文・荻野洋一)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】

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【著者プロフィール:荻野洋一】

映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boid マガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。7月末に初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)を上梓。この本はなんと600ページ超の大冊となった。

ナンニ・モレッティ作品がきわだたせる「居心地の悪さ」

チネチッタで会いましょう
© 2023 Sacher Film–Fandango–Le Pacte–France 3Cinéma

 1953年生まれで、もう71歳となるのだから、ナンニ・モレッティをそろそろ「イタリアの巨匠」と表してもいいのだろう。つねに居心地が悪そうで、癇癪を起こし、まるで落ち着きというものが感じられない作風も、自作における俳優としてのありようも、まったく巨匠らしくはないのだが…。彼の最新作『チネチッタで会いましょう』は巨匠の焦燥と老害ぶりを容赦なくさらけ出し、いよいよ居心地の悪さが増幅しているように見える。本稿ではそうした居心地の悪さについて考えを進めていきたい。

 モレッティの映画は初期のころから、少数ながらも熱心な支持者に恵まれ、順調に日本公開を果たしてきた。しかし現状において1990年以前の初期作品へのアクセスは思いのほか難しくなっており、東京国際映画祭2024で久しぶりに初期の集大成と評される『赤いシュート』(1989)が上映されたのは僥倖だった。筆者も久しぶりにこの作品を見て、面目ないことにほとんどのシーンを忘れていたが、モレッティ映画が初期のころから、すでに異様なほどに居心地の悪さをきわだたせていたことに、改めて気づかされた。

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