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拒否反応を引き起こすほどのアナーキーな傍若無人ぶり

チネチッタで会いましょう
© 2023 Sacher Film–Fandango–Le Pacte–France 3Cinéma

『チネチッタで会いましょう』の主人公は、モレッティ自身が演じる映画監督ジョヴァンニである。1956年に勃発したハンガリー動乱に直面し、イタリア共産党がどのようにこの政変に対処したのかについての歴史映画をジョヴァンニは製作中だが、撮影の進行はうまくいっていない。どうやら資金繰りも怪しい。

 かつては左翼の闘士として鳴らしたらしい彼の言動はもはや老害そのものであり、周囲の呆れ顔もかまわず、頑固な自説をわめき散らし、家族や仲間に当たり散らす。映画の主人公女性ヴェーラを演じることになっている俳優(バルボラ・ボブローヴァ)が本読みにミュールを履いてきただけで、ミュール嫌いのジョヴァンニは機嫌が悪くなってしまい、妻パオラ(マルゲリータ・ブイ)が運転する帰りの車中でもあいかわらずミュールの文句を言っている。

 映画雑誌「キネマ旬報」の星取りレビューでは評者の方々が主人公の狼藉に対して拒否感を示したり、低評価を下したりしている。特に、妻パオラが夫の映画と並行してプロデューサーをつとめる若手監督のバイオレンスアクション作品のロケーション現場に顔を出したジョヴァンニが、よせばいいのに射殺シーンで口出しし始め、倫理観うんぬんといった議論をしつこくくり返して、撮影を翌朝までストップさせてしまうシーンの狼藉ぶりは、たしかに見る人によっては正視しがたいだろう。

 でもじつは東京国際映画祭2024で久しぶりに再見した『赤いシュート』でも似たようなことが起きていた。やはりモレッティ自身が演じる主人公ミケーレは水球の選手で、ローカルレベルとはいえ一応はれっきとしたプロの公式戦らしき試合で、プール内でプレー中も共産党員としてのアイデンティティについて自問自答し、対戦相手の耳元でその独り言を聞かせ、対戦相手のプールサイドにまで出かけていって、コーチや控え選手たちに自分の苦悩と妄想をまくし立て、たびたび試合を中断させ、やがてその試合の混乱は観客も巻き込んでいく。

 この狼藉こそモレッティだ。さらにそのアナーキーな傍若無人ぶりによってさえもみずからを解放することの不可能性に留まろうとする。

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