高性能カメラが映し出す「わたしたちの正体」
彼らは数多ある映像⽤カメラの中から、最先端の内視鏡を映画制作のメインカメラに⽤いた。カメラは⾁眼では決して⾒ることのできない⼈間の体内へ潜⼊し、⾎と⾁の塊である「わたしたちの正体」を内部からスクリーンに曝け出していく。
それは⼈類が⻑年追い求めてきた⼩宇宙でもある。古代ギリシア・ローマですでに始まっていた解剖学。わたしたちの祖先は死者を解剖し、その構造を知ろうとしていた。15世紀にはレオナルド・ダ・ヴィンチが約30の⼈体を解剖。緻密な観察から史上初の正確な⼈体解剖図を描いた。それでも、⽣きた⼈間の内部を視認するには⾄っていなかった。
本作には⽣きた⼈間の体内を撮影した内視鏡の映像がふんだんに使⽤されている。頭の半分が覆われた状態で話をしているのは脳室の開⼝⼿術を受けている男性。「痛いですか?」と確認しながら医師が脳に⼩さな⽳を開けていく。「少し…」。やりとりは「いやいや、⻭医者じゃないから」と思わず突っ込みを⼊れたくなるようなシュールなものだったが、その⽳から侵⼊した 内視鏡が映し出した脳内には⾔葉を失った。
それが宇宙のようにわたしたちの外側ではなく、内側に広がっている景⾊だからなのだろう。内視鏡で⾃分の頭の中を覗かれているような、ぞわっとする映像体験。映画においては初めての感覚だ。
内視鏡が捉える眼球の⼿術。⿊⽬の部分が卵⻩のようにオレンジ⾊に光っている。潤みを帯びた球体。惑星のようでもあるし、熟した果実のようでもある。「⽬は⼝ほどに物を⾔う」としばしば俳優の瞳を⼤写しにして感情を表現することがあるがここまでズームアップされると少しの感情も読み取ることができない。
トンボの⽬を顕微鏡で観察したときのような神が創りし造形に対する畏怖の念。⽬がカメラと同じ単なる視覚器官であることに改めて気づかされる。前⽴腺の検査で男性器の尿道に内視鏡を挿⼊していくシーンではその痛みを我が事のように想像して縮み上がる。同時にそんな狭い空間にも侵⼊可能なカメラが存在する医学の進歩に驚愕する。