デッドプール特有のメタ視点を大いに活用
デードプールの三作目となる今作では、MCU登場以前に乱立していたマーベルコミックを原作・原案としたこれまでの20世紀フォックスの単独作品たちを取り上げ、デッドプール最大の武器によって次々と葬り、いや、供養し成仏させていくのである。
デッドプールといえば原作と同様に映画でも「第四の壁」(フィクションと現実の境界線)を越えたメタなツッコみが魅力だが、設定が散逸し混乱をきたしていた過去のマーベル作品群を供養し、今後のMCUを再構築するためにふるった大ナタがこのメタフィクションという構造であった。
だっていきなり『ローガン』(2017)で死んだはずのウルヴァリンが本作で再登場しちゃうのだから。あの感動はなんだったんだと。
また(ジェシカ・アルバが出ていてヒットしたほうの)『ファンタスティック・フォー 超能力ユニット』(2005)のヒューマントーチを演じたクリス・エヴァンスを見たデッドプールが、MCUで彼が演じたキャップ(キャプテン・アメリカ)と勘違いするシーンがある。
デッドプールしかできないこの「同一俳優が演じるキャラの見間違い」というメタなツッコみによって、ディズニー映画となった世界観では不都合となるキャップと同じクリス・エヴァンス演じるヒューマントーチ(ジョニ―・ストーム)というキャラクターをMCUから葬りさる(文字通り)ことに成功している。
つまり、メタフィクションではないMCUにデッドプール特有のメタの視点を浴びせることで、不都合なキャラクターをMCUから引きはがすことに成功している。