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スピルバーグが描いた”理想の友達”ー脚本の魅力

『E.T.』劇中カット【Getty Images】

『E.T.』劇中カット【Getty Images】

スピルバーグの作品では、しばしば家族間の不和が描かれる。

『未知との遭遇』ではUFOに夢中になる父親と家族の軋轢が、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)では仕事一筋の主人公と遊んでほしい息子との葛藤が描かれている。また『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)では、両親の離婚をきっかけに詐欺師となる主人公の姿が描かれている。

『E.T.』も例外ではない。あらすじからも分かるように、本作ではエリオットの父親が浮気相手とメキシコにいることが示唆されており、作中では一切登場しない。それどころか、母親以外の大人たちは基本「モブ」であり、ほとんど顔が登場しないのだ。

スピルバーグ作品にはなぜこれほどまでに家族の不和が描かれるのか。この謎を解くには、スピルバーグ自身の半生を紐解かなければならない。

1946年、コンピューター技師の父親とコンサートピアニストの母親の元に生まれたスピルバーグは、幼少期から両親の喧嘩を目の当たりにしてきたという。そして1962年、彼が16歳のときに両親は離婚。家を出ていった父親に代わりに女手一つで育てられることになる。

感受性豊かな思春期真っ只中の少年の生活から、突然父親がいなくなるー。この出来事が少年の心に深い影を落としたのは想像に難くないだろう。現にスピルバーグは、本作に関するインタビューで、両親の離婚が子どもに「責任」を作り出すこと、特に兄弟がいる場合は、互いに面倒を見合う関係を構築するきっかけとなることについて語っている。

こういった過去を踏まえると、エリオットが幼い頃のスピルバーグをもとにしたキャラクターであることも想像に難くない。現にスピルバーグは当初、幼い頃に学習障害で悩んでいた自身の姿を反映し、エリオットを自閉症の少年として描こうとしたと語っている。つまり作中でエリオットが感じる孤独は、スピルバーグ少年が感じてきた孤独なのだ。

では、作中に登場するエイリアンE.T.はいったい何のモチーフなのか。この問いにもスピルバーグは明快な答えを用意してくれている。彼はE.T.を造形する上で、自身にはいなかった兄や弟、自身のもとを去った父親の両方の要素を兼ね備えた「友達」が欲しいという気持ちを込めたことを明らかにしているのだ。

作中では、エリオットとE.T.が分かち合っているようなシーンが多数登場する。特に印象的なのは、エリオットのケガをE.T.が超能力で治すシーンだろう。哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがいうように、私たちは他者の痛みを他者のリアクションや自身が感じた痛みから類推するしかない。つまり、2人が痛みを共有したという事実は、2人が心の底から通じ合っていることの何よりの証左なのだ。

そしてラスト。宇宙船に乗って飛び立とうとするE.T.は、悲しむエリオットの頭を指差し、次のように言葉をかける。

「僕はここにいるよ」

これは、E.T.とエリオットが一心同体だったことを表している。つまり、E.T.とはエリオットであり、子どもの頃のスピルバーグ自身でもあったのだ。

E.T.。それは、学習障害を抱え、大人からも子どもからも宇宙人扱いされたスピルバーグ少年の、唯一分かち合える友達だったのかもしれない。

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