名匠キューブリックの遺作ー演出の魅力
小説などとは異なり、映画の場合、晩年の作品が畢生の最高傑作となることは稀だ。しかもこの傾向は、才能の枯渇によるものなのか、とりわけ若い頃に「天才」と称された監督ほど強いように思える。
ただ、老境の作品は、若い頃の作品よりものびのびと撮った作品が多いようにも感じられる。地位も名声も得た大監督が、最後の最後に自分の撮りたかった作品を撮っている。そんな余裕が画面から伝わってくるのだ。この『アイズ ワイド シャット』も、そうした作品の一つといえるだろう。
本作は、『2001年宇宙の旅』(1968)『時計じかけのオレンジ』(1971)で知られる名匠スタンリー・キューブリックの遺作。原作はアルトゥル・シュニッツラーの『夢小説』で、当時、現実でも夫婦だったトム・クルーズとニコール・キッドマンが夫婦役を演じている。
タイトルの「アイズ ワイド シャット(目を大きく閉じて)」は、英語の常套句である「Eyes wide open」をもじったもので、結婚に関するベンジャミン・フランクリンの警句やシェイクスピアの『テンペスト』がルーツであると言われている。作品内に矛盾を持ち込むことが多いキューブリックらしいタイトルといえるだろう。
しかし、作品全体は「夢」がモチーフとなっているだけあって混迷を極めており、『博士の異常な愛情』(1964)や『フルメタル・ジャケット』(1987)で見られた「二物衝突」的な魅力はあまり感じられない。とはいえ、後述する「黒すぎる疑惑」も相まって、議論の尽きない作品になっている。
なお、キューブリックは本作の試写会5日後に心臓発作で急逝。本作のラストを飾るセリフは、ニコール・キッドマン演じるアリスがつぶやく「F○CK」だった。風刺的作品を数多く制作してきたキューブリックだけに、彼の「遺言」はその映画人生を締めくくる最もふさわしい言葉だったのかもしれない。