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発見される異形の美

© 2023 tempesta srl, Ad Vitam Production, Amka Films Productions, Arte France Cinéma

 眠るアーサー=アルトゥールがいくどとなく見るベニアミーナの夢の中にたびたび現れる赤い毛糸。この赤い毛糸は、アーサーのダウジング術をはるかに凌ぐ霊性でもって彼とベニアミーナを繋ぐのかもしれない。それがこの映画の中でちゃんと描かれるのか、描かれないのか。描かれるとしたらどんな形で? 「わたしを死なせて」と歌ったアリアンナの嘆きに呼応するかのように、あまりにも、あまりにも美しすぎる西陽が照らし始める。このような危険な、禁忌的な光を、あからさまに現出(幻出)させてしまう映画というものに、わたしは改めて震撼するしかない。
 
 アーサー=アルトゥールを演じたジョシュ・オコナーは、本作の中でつねにボロをまとい、体臭を漂わせ、無精髭にボサボサ髪だが、醸し出される性的魅力は隠しようもない。じつにロルヴァケル映画らしい登場人物である。

 ロルヴァケルは鄙びた村落の裏山に、あるいはボロをまとった孤独な人影に、人知れずきらめく高貴さをまぎれこませる。なお、ジョシュ・オコナーは、本作の前半部分だけをイタリア・ラツィオ州タルクィーニア周辺のエトルリア墳墓遺跡群で撮影したのち、いったんアメリカに飛んで、ルカ・グァダニーノ監督『チャレンジャーズ』(2024)のやさぐれたテニスプレーヤー、パトリック・ツヴァイク役をこなしたあと、またラツィオ州に戻って、本作の後半部分の撮影に臨んだとのことである。わたしたちは今年、すばらしい男優の台頭に立ち会ったことになる。

 ジョシュ・オコナーが切断された女神の頭部を抱え、彼と女神の切々たる見つめあいを見るためだけでも、『墓泥棒と失われた女神』を上映する劇場に行く価値がある。映画にはまだこんな、異形の美を発見する余地が残されているのか、と慄然とさせられる。

(文・荻野洋一)

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