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「死」を通じたかけがえのない出会い―脚本の魅力

脚本家のピーター・モーガン【Getty Images】
脚本家のピーター・モーガン【Getty Images】

 先にも述べたように、本作はスピリチュアルな力による「導き」を描いた作品だ。しかし、あらすじからもわかるように、本作の物語の本質は、スピリチュアルではなく「傷を抱えた者同士の出会いと連帯」にある。

 まずはマリー。彼女は、臨死体験に傾倒するあまり仕事を失い、愛人関係にあった番組ディレクターとも別れることになる。また、自身の特殊能力を持て余しているジョージは、自らの殻に閉じこもり、港湾労働者として生計を立てている。そしてマーカスは、かけがえのない家族だった双子の兄を失って以来、精神的な支柱を失っている。

 そして、物語が進むにつれ、彼らの苦悩が「交換可能性」に根差していることが分かってくる。例えばマリーは、番組で手痛い失敗をしてしまい、早々に若いキャスターに取って代わられる。また、独り身のジョージは工場で上司から退職を依願されて突然職を失う。そして薬物中毒の母親に育てられたマーカスは、何人もの里子を育ててきた里親のもとに預けられる。

 ただ、ここまでの展開は、従来のヒューマンドラマにもありがちな流れといえるだろう。しかし、本作では、従来のヒューマンドラマにはない要素が登場する。それは「死」というテーマだ。

 死―。それは、生きとし生けるもの全てが経験する、“生の終わり”だ。どんな金持ちでも、どんな悪人でも、死だけは平等にやってくる。というよりも、むしろ私たちは、死を通して命が平等であったことを伺い知るといってよいだろう。

 ただ、同時に死は、他者と交換できないかけがえのないものでもある。その証拠に、私は他者の死を体験することができない。美術家のマルセル・デュシャンが自らの墓石に「死ぬのはいつも他人ばかり」と刻んだように、私に与えられる死は、あくまで私の死でしかないのだ。

 そして、それは身近な者の死にもあてはまる。マーカスの例をみれば分かるだろう。兄のジェイソンを失った彼の悲しみは、深く彼の実存に根ざしており、他者と交換することができない。生涯背負わなければならない「かけがえのない悲しみ」なのだ。

 本作の登場人物は、スピリチュアルな実践を通して死と真正面から向き合っていく中で、運命的な出会いを果たす。彼らの出会いは、霊視能力を持ったジョージにも予知が出来ない人智を超えた不思議な力に突き動かされているのだ。

 余談だが、実は本作、巨匠イーストウッドが撮った作品にしては評判が芳しくない。実際、アメリカの映画評論サイトRotten Tomatoesの支持率は47%で(2024年5月28日現在)、お世辞にも高いスコアとは言い難い。こういった評価の理由には、物語の展開があまりにも緩慢で、ドラマ的なカタルシスに欠ける点が挙げられるだろう。

 ただ、こうも言えないだろうか。つまり本作は人生というドラマのあくまで序章に過ぎないのだ、と。現に、タイトルの「ヒア アフター(Hereafter)」は、「後世」や「死後の世界」といった意味に加え、文字通り「これ以降」という意味もある。そう、彼らの物語は、本作の終わりから始まるのだ。

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