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人物類型の相互浸透とジャンルの混濁

映画『ヒットマン』
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 変装によって進行する人物類型の相互浸透作用というと、映画史上の名作としてジェリー・ルイス監督&主演の『底抜け大学教授』(1963)が挙げられる。

 このサイコロジカル・コメディは、1996年にエディ・マーフィ主演で『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』としてリメイクされているが、冴えない大学教授と、新薬の効果によって整形されたダンディなエンターテイナー、バディ・ラヴとの見境がつかなくなるアイデンティティ・クライシスが主題化されていた。このクライシスを促進するのが意中の女性の出現であるという点も、『底抜け大学教授』と『ヒットマン』の共通項である。

 ゲイリー・ジョンソン氏、もとい殺し屋ロンに夫の殺害を依頼する人妻マディソン(アドリア・アルホナ)の登場により、人物類型化および、なりすましによるトーキング・コメディとして心地よく躍動していた本作に、いっきに翳りが差し込んでくる。

 この翳りとは、フィルム・ノワールの翳りである。後半、『ヒットマン』はフィルム・ノワールへとジャンル越えしていく。ただし、殺人依頼者マディソンは単なるファム・ファタールではない(ファム・ファタールとは、フランス語で「宿命の女」という意味。フィルム・ノワールや恋愛サスペンスのジャンルでは必要不可欠なキャラクターとして映画史に刻まれている)。

 快活なトーキング・コメディからフィルム・ノワールへ。さらにフィルム・ノワールからサイコ・サスペンスへ。人物類型の相互浸透というアイデンティティ・クライシスの問題と、主人公を破滅へと向かわせかねない恋愛とが同時並行で進行しつつ、再びコメディへとめまぐるしく旋回していく。

 ただし、こんどは快活なトーキング・コメディとしてではなく、モラルをも人質に取ったかのような、きわめてブラックなコメディとして。明と暗のブレンドによって楽天性と棘のあるトーンを混在させる映画作法は、同じスキップ・ホランズワースのペンから生まれた『バーニー/みんなが愛した殺人者』の再来だと言える。

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