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ジェルソミーナの海、ザンパノの海ー映像の魅力

映画『道』のワンシーン。(上から)ジュリエット・マシーナ、アンソニー・クイン
映画道のワンシーン上からジュリエッタマシーナアンソニークインGetty Images

あらすじからも分かるように、本作は海で始まり海で終わる。

最初のシーンで映るのは、浜辺に落ちている棒切れを拾い集めるジェルソミーナ。と、そこへジェルソミーナの妹・ローザの死を告げにやってくる。

身体を起こしたジェルソミーナの目線の先には、海に向かって仁王立ちするザンパノの姿が映っている。

ここから本作前半の物語は、ジェルソミーナの感情にスポットが当てられたまま進行する。しかし、中盤のマットの死以降は一転し、今度はザンパノの心情を軸に物語が進行する。

そして、ラストシーンでは、年老いたザンパノがうら寂しい夜の海を彷徨っている。何かを探しているのか、入水を試みようとしているのか、当て所もなく彷徨うザンパノだが、何もできずに浜辺にへたり込んでしまう。

ここで思い出してほしいのが、マットの次のセリフだ。

「おれには小石が何の役に立つかわからん。何かの役に立つ。これが無益ならすべて無益だ。空の星だって同じだとおれは思う」

ジェルソミーナを「役に立たない小石」として扱っていたザンパノ。それが実はかけがえのないものであったことに気づいても、すでに手遅れだ。

自身の過ちの深さを悟ったザンパノは、へたり込んだまま空を見上げる。しかし、空にある星々はあまりに遠く、手元にあるはずの小石も暗闇でよく見えない。項垂れたままのザンパノを残し、カメラはゆっくりと引いていくー。

小石、空の星、そして海。本作では、この3つの詩的なモチーフからジェルソミーナとザンパノの感情が描出されている。

こういった話法は、まさに従来のネオレアリズモの手法に当てはまらないフェリーニならではの技法といえるだろう。

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