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『怒りのデス・ロード』への批判を内包した『フュリオサ』の語りに注目

『マッドマックス:フュリオサ』
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 イモータン・ジョーの支配は『怒りのデス・ロード』では乗り越えるべきものであり、もちろん映画を見たほとんどの人はそれを理解している。しかし、同時にイモータン・ジョーの生み出したシタデルの熱狂は、あまりにも魅力的すぎた。

 支配のための物語を印象的な様式に落とし込み、兵士たちに与えて物語と一体化させる。熱狂のうちに死ぬための物語を用意されたウォー・ボーイズとは対照的に、母乳を搾取される女性たちにも貞操帯を着けられた妻たちにも、そんな魅力的な物語は用意されない。家父長制に覆われた社会におけるジェンダーの不均衡が、映画の中にも外にも、明確に示されている。

 そして、前作からの9年間の間に起きた現実の出来事――たとえばドナルド・トランプのような、演出されたカリスマと分断によって生まれる混乱と支配の実践――は、その熱狂と物語が持つ強烈なパワーを、証明してしまった。

 以上の指摘は、一言で言うなら「『怒りのデス・ロード』は映画として面白すぎる」という難癖としか言いようのない批判だ。けれども驚くべきことに、『フュリオサ』におけるジョージ・ミラーの語り口は、そんな批判への返答すら内包しているように、私には感じられた。

 フィルムのところどころに、前作にあったスリリングで刺激に満ちた瞬間への反省的な態度が刻み込まれている、とでも言えばいいだろうか。

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