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現実と虚構をめぐるヘインズの探究を従来とは異なる形で押し進める一本

©2023. May December 2022 Investors LLC, ALL Rights Reserved.
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 このように、2人の女優による対決が本作を牽引する大きな要素の一つであることは間違いない。しかし、映画により繊細な感覚を加えたのは、チャールズ・メルトン演じる夫ジョーだろう。女性2人とは対照的な抑制されたリアリズムに寄せたトーンを基調とするメルトンの演技を通じて、映画は事件の核心にある同意の有無に迫っていく。

 一方で、エリザベスの映画でジョー役のオーディションに参加した少年たちや実際に選ばれた少年には、モデルの男性に近い子供っぽい印象を残す痩せた役者たちが選ばれており、ヘインズは実際の事件のグロテスクさを観客に再度意識させることを忘れてはいない。

 しかし他方で、筋肉質で色気に溢れており、さらに第一印象を超えて年齢以上に落ち着いた印象を醸し出すメルトンの佇まいは、親を早く失い家庭を中心的に引っ張っていたという設定以上にはるかに雄弁に、妻グレイシーとの関係や2人の同意をめぐる主張に、一旦はある種の説得力を与えることに成功している。

 彼が演じるジョーとなら、若い時に何かあっても仕方ないのではないか。わずかでも観客にそう考えさせられるかが、カップルへの共感の回路が開かれるかを左右する本作にあって、まずメルトンの存在感はきわめて重要な役割を果たしている。

 ところで劇中では、家庭内でのジョーの振る舞いの大半が妻に監視され、制御されたものであることが繰り返し示される。映画を通じて彼は、妻と妻をコピーしようとするエリザベスに振り回され続ける。加えて、彼の内向的でデリケートな性格が、趣味の昆虫飼育に取り組む様子や、息子にマリファナの手ほどきを受けるぎこちない姿から、少しずつ明らかになる。

 そして、大人になってもほとんど対人関係で主体性を発揮しているように見えない彼を眺めるうち、この男が13歳の時点でグレイシーに自分の意思をはっきりと伝えることなどできたのだろうか、という疑問が自然と頭をもたげてくる。

 先述の通り、妻との長年の関係についての問いかけに、一度は僕が望んだと語るジョーは、しかしその直後に「どうなのかな」と小声で付け加える。なかなか表面化されない彼の逡巡は、エリザベスから妻のように無神経な物言いで自分の半生を物語と呼ばれたことでついに爆発する。

 はじめて感情を露わにした彼は、これは物語ではなく人生なんだ! と声を荒げる。たしかに彼は、趣味を通じて知り合った女性を旅行に誘うメッセージを冗談半分に送ることはできても、妻子を捨てて外国に逃げることは決してできない男なのだ。

 物語ではなく、現実の人生でしか生きられないジョーと、周囲への影響を顧みずひたすら自分の物語を生きるグレイシー、そしてそんな彼女を演じることに身を捧げるエリザベス。『メイ・ディセンバー』は、人生と物語に対してそれぞれ異なる接し方をする3人の人物たちを並置することで、現実と虚構をめぐるヘインズの探究を従来とは異なる形で押し進める一本となった。

 娘の卒業式当日の朝、ジョーははじめて自らの意思である行動に出る。その行為はたしかに、おそらくかつてのグレイシーと、そして劇中ではエリザベスとの間で反復された、消極的で曖昧な同意に基づくそれとは異なる性質を孕んではいるものの、あくまでも些細なものに過ぎない。

 結局のところ、エリザベスの介入は3人に何をもたらしたのか。驚くほど下品な映画内映画の撮影シーンを唖然としながら眺めるうち、何の結論も出ないまま、鈍い後味の悪さとともに観客は取り残されることとなる。

(文・冨塚亮平)

TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中

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