ロス・アラモスに重ねられるハリウッドのスタジオシステム
1942年、米国ニューメキシコ州の荒地ロス・アラモスにマンハッタン計画の研究施設が急ごしらえで建設され、世界一流の物理学者たちが集められ、原子爆弾タウンが出来上がる。そのストーリーテリングの源泉はアメリカ映画そのもの。西部劇であり、冒険活劇であり、オールスターチームの結成である。
そしてロス・アラモスじたいもハリウッドのスタジオシステムのアレゴリーとなっていて、ロス・アラモスの司令塔に就任する主人公オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)はこのとき、タウンの市長であり、保安官であり、映画撮影チームを統括する監督そのものとなる。
『インセプション』(2010)、『インターステラー』(2014)、『ダンケルク』(2017)、『TENET テネット』(2020)と、これまでのフィルモグラフィーの中でクリストファー・ノーランは、時空間を縦横無尽に取り扱うことにこだわってきた。
特に時間の取り扱いについては全能感の誘惑に引きずられるかのように、人工的かつ恣意的なノンリニア操作をほどこしてきたのだが、それは決して時間演出についての説得力ある答えを導き出してはこなかった。そこにはただクリストファー・ノーランという作家の全能感だけが残る。今回の『オッペンハイマー』において急ごしらえで建設される原爆タウンは、ノーランの全能感を体現したワンダーランドのお城である。
『オッペンハイマー』には3つの時制がパラレルに進行する。
第1に、主人公が苦悩の学生時代をへて物理学者となり、恋愛したり、共産主義思想にシンパシーを抱いたりしながら、マンハッタン計画に招かれて「原爆の父」としての栄光に包まれつつ、罪の意識に囚われていく物語。第2に、戦後の冷戦下で赤狩りの対象となり、共産主義へのシンパシーゆえに「ソビエトのスパイ」として追及を受けて地位を失っていく物語。第3に、原子力委員会の理事同士として対立を深め、やがてオッペンハイマーへの怨恨をこじらせるストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)の物語。
この3つの物語の〈行って来い〉はノーラン十八番の時間の恣意的編集である。かなり思い切ったシャッフルをおこなっているが、思ったほどあざやかなタイムトラベルとはなり得ていない。『ダンケルク』のような混乱はないものの、効果てきめんの編集とも言えない。ただし、煽るような息せき切った短冊状のカットつなぎが観客を追い立て、責め立てる効果は絶大なものだというのは先述のとおりだ。