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サスペンスフルなサメの描写ー映像の魅力

『ジョーズ』の撮影風景【Getty Images】
ジョーズの撮影風景Getty Images

本作の前半と後半では、サメの描写も大きく異なる。

まず前半では、サメの姿が一切描かれず、海面を進む背ビレや襲われる人々や海面すれすれを泳ぐサメの擬人的な視点、じんわりと海に広がる血などで間接的に示唆されるに留まっている。サメの襲来を直接描かないことで、何の変哲もない海水浴場のシーンがこの上なくサスペンスフルなシーンへと変貌するのだ。

スピルバーグは、とあるインタビューで、「恐怖映画では、見えるものではなく、見えないものこそが怖い」と語っている。本作では、サメを「得体の知れないモノ」として表現することで観客の恐怖心をこれでもかとかき立てているのだ(サメの模型が故障したため出番を減らさざるを得なかったというのが真相なのだが)。

そして、物語の開始から1時間15分後、ようやくサメがお披露目となる。しかし、姿を現したことで恐怖が減退するかといえば決してそんなことはない。船ほども大きい体躯に鋭い牙。そのビジュアルは、観客の絶望感をあおるには十分だ。

なお、後半部のサメの登場シーンも実に巧い。スピルバーグは、お膳立てされた状況で鳴り物入りでサメを登場させるなんていう下手な真似はしない。サメの引っかかっていた釣り糸が切れ、ブロディたちが一息ついたところで、不意に登場させる。こういった「ハッタリ」により、一瞬先には何が起こるかわからないという緊張感が増すのだ。

また、斬新な映像表現も、本作の大きな魅力だろう。

サメの2回目の襲撃シーンでは、ビーチチェアに寝そべるブロディの前を黄色い水着姿の女性が往復する。と、その女性の動きに合わせてカットがスライドするように変わり、ブロディの顔が近くなったり遠くなったりする。ブロディの顔のサイズをころころと変えることで、空間的な距離感を撹乱しているのだ。

また、ブロディがはじめてサメの襲撃を目の当たりにするシーンでは、ブロディはそのままに背景だけが遠ざかるような表現が用いられている。これは「ドリーズーム」と呼ばれる映像技法で、カメラをトラックバック(後退)させながら急激にズームインすることで撮影できる。

この技法、もともとアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958)で、鐘楼を登っていく高所恐怖症の主人公がふと階下を見下ろした際に起こした急激なめまいを表現するときに使われたもの。『ジョーズ』では、めまいというよりはブロディの血の気が一気に引いていく様子を表現しているように思える。

『ジュラシック・パーク』(1997)のCG表現で映像革命を巻き起こしたスピルバーグ。その革命児としての資質は、若い時から健在だった。

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