「信仰」をめぐる物語ー脚本の魅力
あらすじからも分かるように、本作には宇宙人の物語とは別に、「神への信仰を取り戻す男の物語」が裏テーマとして描かれている。
「人間は2つのグループに分けられる。1つ目のグループは、幸運に出会うと神の啓示(サイン)と捉える人々、2つ目のグループはただ単に運が良かったと思うだけ。後者はUFOを疑いの目で見ている。所詮神などおらず、この世は自分だけ。そして心は恐怖でいっぱいになってしまう。前者はこのUFOを奇跡と捉え、誰かが助けてくれると希望を持つ」
これは、グラハムがUFO襲来に絶望する弟のメリルに向かって語りかけるセリフだ。この問いに、メリルは自分が1つ目のグループの人間だと答え、グラハム自身は2つ目のグループの人間だと答える。
なぜグラハムが奇跡を信じないのか。それは、彼がかつて、妻との死別という「神からの裏切り」を経験しているからに他ならない。
そんなグラハムは、本作のラストで信仰心を取り戻す。このシーンでは、宇宙人に襲われたグラハムたちを、作中に登場したさまざまな「サイン(前兆)」が救う。その展開はいささか強引ではあるものの、鑑賞者の溜飲を下げること請け合いだ。
なお、監督のシャマランは、特定の宗教に属してはいないものの、幼い頃に厳格なカトリック系の学校に10年間通っていたという。本作の物語には、そんなシャマラン自身が培った独自の宗教観がにじみ出ているのかもしれない。