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フィクション性を際立たせる”ぎこちなさ”ー映像の魅力

本作の撮影を手がけた日系アメリカ人のタク・フジモト
撮影を手がけた日系アメリカ人のタクフジモトGetty Images

本作には、シャマランの作品らしく、ぎこちなさで不気味さを際立たせるカメラワークが随所に見られる。

オープニングでは、まずグラハムの家の窓から見た外の風景が映し出される。最初はなんの変哲もない風景だが、カメラがゆっくりと引いていくと、ガラスの歪みでその風景が歪んでいたことが露わになる。

日常の静かな歪みを表現した秀逸なカットだ。

続いて、グラハムがメリルを起こしに行くシーンでは、メリルの寝室に向かうグラハムを真横から映したあと、今度はグラハムの寝室に入るメリルを寝室の中からアップで映す。

カットつなぎがなんとなくぎこちなく、1人の人間が映っているにも関わらず分裂しているような不安感が感じられる。

また、ぎこちないと言えば、宇宙人についても触れなければならない。チープだとして批判の的に晒されることの多い本作の宇宙人造形だが、ここではシャマランはあえてチープであることを選択したと考えたい。

ではなぜシャマランは、わざわざチープなデザインを選んだのか。ここからはあくまで筆者の想像だが、もしここでリアルな造形を採用していたら、宇宙人が「アンビリーバブル(信じられない)存在」であるという説得力が薄れてしまうだろう。

つまりシャマランは、宇宙人のフィクション性(ぎこちなさ)を際立たせることで、「信仰」という問題を映像的に表現しているとも言えはしないだろうか。

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