“群盲象を評す”。ポストトゥルース的状況を予見した〜脚本の魅力
本作の脚本の特徴は、多角的な視点から描写された構成にある。
本作では、事件が起こるまでの半日が、加害者・被害者の視点から何度も何度も反復される。顔見知りである彼らは、フォークダンスのようにすれ違ってはまた別れる。ここから垣間見えるのは、彼らには、それぞれの人生と生活があるという当たり前の事実であり、そこにはカタルシスもドラマも存在しない。
状況のみを淡々と描写するという本作のコンセプトは、アレックスをはじめとする事件の犯人の描写にも当てはまる。いじめを示唆する描写やナチスへの傾倒を示す描写は散見されるが、家庭環境の描写や性格の描写もカットされており、犯行の直接的な動機が明示されていないのである。
サントは、本作のタイトルの由来として、さまざまな逸話を挙げているが、その中に「群盲象を評す」ということわざが含まれている。このことわざは、複数の盲人が象の身体を触り、象がどのようなものか感想を語り合う、という寓話に基づくもので、「事象の一部分を理解したとしても、全体が理解できるわけではない」という意味の言葉とされる。
映像を見ても物事の真実は分からないー。本作でサントが突きつけるのは、そんな“映像の限界”なのかもしれない。まさに今日の「ポストトゥルース」(客観的な真実よりも主観的な感情や信念が優先されること)的状況を予見したようなストーリーテリングである。