名匠黒澤明によるクライムサスペンスの傑作ー演出の魅力
黒澤明には、2つの顔がある。それは、芸術映画の巨匠としての顔と、娯楽映画の巨匠としての顔だ。『天国と地獄』は、そんな黒澤の2つの顔が絶妙なバランスで共存した稀有な作品だ。
本作は、黒澤明による誘拐サスペンス。原作はエド・マクベインの小説「キングの身代金」(『87分署シリーズ』のひとつ)。犯人はもともと資産家の息子を誘拐しようとするも、間違えて貧しい運転手の子供を拉致する。資産家は身代金を支払うべきか、倫理的な葛藤に苛まれるという秀逸な設定は原作を踏襲している。
ちなみに原作は、現金受け渡しの際に犯人が逮捕されるというオチ。一方映画版では、仲代達矢の演じる戸倉警部が逃亡した犯人を追い詰める展開が後半に用意されている。
権藤金吾役の三船敏郎をはじめ、仲代達矢、山崎努、三橋達也と、日本を代表する名優が名を連ねている。
本作は、2つの部分から構成されている。まず前半1時間程度は、権藤邸の中だけで展開される密室劇だ。会社の経営や誘拐事件をめぐる権藤の葛藤が主軸となるこのシーンは、長回しの多様もあり、ほとんど演劇を見ているような緊迫感に満ち溢れている。
そして、後半1時間は、戸倉警部やボースンらによる捜査の様子が描かれ、一気に刑事ドラマ然とした雰囲気を帯びてくる。証拠や証言を積み上げ、着実に犯人を追い詰めていく様子は、現代の刑事ドラマにも通じるリアリティと緊迫感がある。
そしてはずせないのが、前半と後半の間に挟まる身代金の受け渡しシーンだろう。走っている電車から身代金を落とすというこのシーンは、「絶対に失敗できない」というサスペンス特有の緊迫感に溢れており、1984年の森永事件をはじめとする模倣犯が登場するなど、社会的にも大きな影響を与えた。
なお、本作は、スティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1998)や『パラサイト 半地下の家族』(2019)など、東西の名作の多大なインスピレーションとなり続けている。いつ見ても新しい発見がある本作。その影響力は計り知れない。