天国と地獄、2つの世界―脚本の魅力
黒澤明作品を語る上で外せないキーワードがある。それは「ダイナミズム」だ。
『七人の侍』における決闘シーンでの静と動、『羅生門』で問われる善と悪、そして、『生きる』の中で描かれる生と死―。黒澤はこれまで、作中で二項対立を対峙させることで、ダイナミズムを描出してきた。こういった黒澤の作風は、『天国と地獄』の脚本でよりはっきりと描かれている。本作で描かれる二項対立、それは、ずばり「天国」と「地獄」だ。
誘拐事件の犯人である竹内銀次郎は、貧しい生い立ちから、豪邸住まいの製靴会社常務、権藤に一方的に敵意を抱き、彼の子どもを誘拐しようと画策する。一方、「天国住まい」の権藤も、実は見習工から常務まで上り詰めた叩き上げで、会社内の階級闘争に巻き込まれ、「やっつけるかやっつけられるか」(作中の権藤のセリフ)の日々を送っている。
本作の前半は、そんな権藤が、運転手である青木の息子を犠牲にして「天国」に居続けるか、私財を投げうって運転手の青木の息子を救い、自らは「地獄」へと身を落とすのかという二つの選択の間で揺れるさまが描かれる。
「天国」と「地獄」、この二つの対立は、後半部以降よりはっきりと描かれる。まず、刑事であるボースンと荒井が操作をするシーンでは、はじめ丘の上に立つ権藤の大豪邸を映した後、丘の下に連なるスラム街とドブ川を映す。つまり、本作では、この川が「天国」と「地獄」を分ける境界線として描かれているのだ。
そして、「天国」と「地獄」の対立がより混然一体となるのがラストシーンだ。このシーンでは、死刑が決まった竹内と権藤が金網越しに直接顔を合わせる。この時、「天国へ行けなんて言われたら震え上がるかもしれない」と語る竹内だが、その顔には荒井の顔が反射し、微妙に重なっている。
「天国」住まいの権藤と「地獄」住まいの竹内は、これまで全く別の世界の人間として描かれてきた。しかし、本シーンを見ると、実は似た者同士だったのではないかと思えてくる。人間の普遍性をあぶり出した何とも秀逸なシーンだ。