非キリスト教圏の観客には伝わりづらい悪魔の怖さ
さて、そういった事情を乗り越え、世界各国で大ヒットした『オーメン』だが、国や地域、そしてそこに住む人々次第で受け取られ方には違いがあったと思われる。というのも、これらの“オカルト映画”が“反キリスト的”な論理に基づいて物語が展開されているからだ。
これらの作品について恐怖の根源となる存在に“悪魔”というものが登場するが、この存在への潜在的な恐怖感はキリスト教圏(聖書圏と拡大解釈しても良いかもしれない)で育った人たちの心の底に刷り込まれたものだと言える。
逆に言えばそういった刷り込みがないキリスト教圏以外の観客の多くは、“悪魔”と言われても本気で恐がるのは難しい。それは“悪魔もの”が抱えている大きなウィークポイントだろう。
そんなこともあって、それぞれのオカルト映画は“反キリスト”的な描写を込めつつも、もっとシンプルに恐怖を焼き付ける戦略をとることになった。
『ローズマリーの赤ちゃん』ではミア・ファロー演じる若い妊婦が悪魔の子供を宿してしまったという恐怖心=不安を前面に出すことで、万人受けする恐さを押し出した。
『エクソシスト』で言えば悪魔に取り憑かれた少女が罵詈雑言を発し、頭部が180度回転するなどのショック描写(ディレクターズカット版ではスパイダーウォークもあった)で、悪魔に対する本源的な恐怖を共有しない人々をもシンプルに怖がらせた。
『オーメン』もまた宙づりになる乳母、避雷針で串刺しになる神父、落下したガラスで切断された生首などのショッキングなシーンによって人々を驚かせた。
一説にはスタジオ側から宗教色を薄くするように言われたという話もあるし、監督のリチャード・ドナーが超自然的な描写を排した演出を心がけたという話もある。
『オーメン・ザ・ファースト』でもその手法は踏襲されている。
修道院を舞台にした“反キリスト”的なストーリーが展開する一方で、ショック描写はわかりやすいものが続く。串刺しや宙づりなど1作目を想起させるシーンが続くのはある種のファンサービスと言ってもいいかもしれない。また、“666という呪われた数字のあざを持つ子供”の誕生に陰謀論を絡めたのもの巧い展開の仕方と言えるだろう。