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ジョン・レノンとオノ・ヨーコの
個人秘書を務めたメイ・パンの人生

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本作は、ニューヨークの移民街・スパニッシュハーレムで生まれ育った中国人移民の娘で、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの個人秘書を務めた女性メイ・パンの告白を中心に、ジョンと愛人関係にあった、いわゆる「失われた週末」と呼ばれる18か月の期間に何があったのかを、本人の証言を基に描いたドキュメンタリーだ。

ビートルズ時代から続くジョンの名曲や貴重なアーカイブ映像、ジョンとメイのプライベート写真、絵心もあるジョンが描いたユニークなイラストをスクリーンに映し出しながら、その真実に迫っている。

メイは、日本でいえば短大にあたるコミュニティカレッジを卒業後、押しかけるように、ビートルズが設立したレコードレーベル「アップルレコード」で働くことになる。音楽関連ところか、就業経験もない彼女は、面接の場で「受付は?」「書類整理は?」「電話対応は?」といった質問に対し、全て「出来ます!」と詭弁を弄し、潜り込むように入社を果たした。 しかし、彼女の働きぶりは目を見張るもので、たちまちジョンとヨーコの秘書兼雑用係の座に就く。

ところが、当時すでに倦怠期にあったジョンとヨーコの狭間で、彼女は2人の調整役として難しいタスクをこなすことになる。メイにとっては2人とも雇い主であり、“あちらを立てればこちらが立たぬ”といった状況の中、持ち前の世渡り上手さで、何とか夫婦関係の破綻を防ぎ、自らの立場を築いていた。

その風向きが変わったのは1973年秋から75年初頭にかけての18か月。ジョンが新作アルバム『マインド・ゲームス』のプロモーションのため、ロサンゼルスに滞在する。メイは秘書兼プロダクションアシスタントとしてジョンに同行する。

なぜジョンが西海岸に向かうことになったのか。それはジョンが当時、刑事訴追され、政治的活動により英国への強制退去の可能性があったからだ。結果的にその行動は奏功し、その間、“怨敵”のニクソン大統領はウォーターゲート事件によって、米国史上初かつ唯一の任期中の辞任という朗報も飛び込んでくる。

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