「答えのない問い」を突きつける”自由死”という制度
今と地続きにある近い未来、工場で働く石川朔也(池松壮亮)に同居する母・秋子(田中裕子)から電話が入る。
「大切な話がしたいの、帰ったら少しいい?」
だが、そう言い残したまま母は急逝。後に朔也は母が”自由死”の認可を受けていたことを知る。尊厳死を法的に認めた制度だ。自殺でも百万円ほどの見舞金が出る。多様性を尊重するような建付けになっているが、格差社会における「弱者切り捨て」政策と見ることもできる。
先頃日本でも安楽死の問題を社会保障制度の立て直しと関連付けて語った政治家が糾弾されたが、少子高齢化で社会保障制度が崩壊していく中、いつまた”死ぬ権利”という建前で同様の議論が始まらないとも限らない。
また、社会保障の問題と関係なく、憲法13条の幸福追求権「生命、身体にかかわる自己決定権」を盾に死ぬ権利を主張する声も一定数存在する。
世界には積極的安楽死が合法化されている国も存在する(不治の病における苦痛を取り除く医療行為のひとつとしてではあるが)が、日本ではいつどのように死ぬかを自分で決める権利は認められていない。
また他者が望む死の実現に加担することは自殺幇助として罪に問われる。自分の意志で生まれてくるのを選べないのと同じように自分の意志で死を選ぶことはできない。それは幸福なことなのか。ならば幸福な死とは何なのか。それは他者を不幸にしても優先されるべき自由なのか。本作の”自由死”という制度がわたしたちに問い掛けてくる「答えのない問い」はとてつもなく重い。