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俳優のメタファーとしての「リアルアバター」

(C)2024 映画『本心』製作委員会
(C)2024 映画『本心』製作委員会

 
 冒頭で登場するVF中尾を演じているのは綾野剛。自殺した母の本心を知るために「母を作ってほしい」とVF開発者野崎(妻夫木聡)の元を訪れた朔也の前にサンプルとして登場するVFだ。彼がVFの「心」について朔也に語る場面は、俳優が「与えられた役柄という情報」を「自分の肉体を使って表現すること」について語っているようでもある。

 余談だがChatGPTに「あなたの本心を教えて下さい」と問い掛けたらこんな答えが返ってきた。

「私はAIなので、本心や感情を持っていません。私の役割は、あなたの質問や依頼に応じて最善の情報を提供することです」

 AIに心はない。あるのは「情報」とそれをアウトプットする「デバイス」だけだ。「故人AI」も「AI美空ひばり」もまた然り。しかしながらわたしたちはAIと対話を繰り返すうちにそこに「心」があるような錯覚に陥ってはいないだろうか。

 AIの進出により工場の仕事を失った朔也が幼馴染みである岸谷(水上恒司)の紹介で始めた「リアルアバター」というアルバイト。これも身体の使い方は俳優のようでもある。俳優は原作者や脚本家、監督という他者に与えられた言葉や動きを自らの肉体を使って表現する。

 リアルアバターとなった朔也がイヤフォン越しに聞こえる複数の依頼者の指示に右往左往させられる姿は演出方針が定まらない現場で俳優が困惑していようでもあるし、クライアントの若松(田中泯)が最期に見たかった海を彼のリアルアバターとして見た朔也の涙は俳優が役柄に感情移入しているようでもある。

 そこには母の自由死を止められなかった朔也自身の無念さも垣間見える。だが、冷静に考えてみてほしい。それらの感情はすべて脚本に書かれた「情報」である。極端に言えば俳優は「デバイス」としてその情報をアウトプットしているに過ぎない。

 にもかわらず、観客であるわたしたちはそこに架空の人物の「心」を感じ、感情を揺さぶられる。「憑依」ともいうべき霊的な表現行為。後に朔也がVFとなった母・秋子に「心」を感じ、自身の感情を揺さぶられてしまうことにも同じような霊的なものを感じてしまう。死者の魂がAIに宿っているのではないかという非科学的なことを。

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