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三吉彩花が演じる“三好彩花”を演じることの意義深さ

(C)2024 映画『本心』製作委員会
(C)2024 映画『本心』製作委員会

「真実は、本心はどこにあるのか」

 子の多くは母を役割として見ている。警察官や消防士と同じだ。だから自分の母親像から外れた言動を母親が見せたとき、子は戸惑う。

「お母様が予期せぬことを言ったり、いつもと違うとことがあれば”そんなことは言わなかった”と言ってあげて下さい」と開発者の野崎は言う。「学習することでさらに精度が上がります」と。

 野崎の言葉が、女性が我が子によって母親に育てられていく現実をなぞっているようにも聞こえてくる。

 本作におけるVFの描き方には原作者・平野氏の造語である「分人」という概念が大きく関わっているように思う。警察官や消防士がそうであるように母親も氏名を持つ個人だ。

 朔也の前で見せていたのは母という幾つもあるうちの顔のひとつに過ぎない。石川秋子という人間を構成するひとつの人格に過ぎない。朔也はその不都合な真実を見落としたまま、完全な母をVFとして再現すれば自分が知りたい「本心」に辿り着けるのではないかと、母の親友だったという女性・三好彩花(三吉彩花)に接触。VF制作に伴う母のデータを手に入れる。

 そうして”母”は完成。朔也はVFゴーグルを装着すればいつでも会える母親、そしてひょんなことから同居することになった三好と、他愛もない日常を取り戻していくがVFは徐々に”知らない母の一面”を曝け出していく。

 三好彩花もまた、朔也を翻弄するミステリアスな存在だ。朔也の初恋の人の幻影であるかのような女性。原作者の平野氏は三吉彩花の存在を知らずに三好彩花というキャラクターの名付けをしたという。オファーを受けた三吉自身も「運命とはこういうことか」と驚いているが、観客であるわたしたちも彼女の登場で”もうひとつの奇妙な世界”に迷い込んだような感覚に陥っていく。

 原作ではひとりの人間として存在していた三好彩花が”一文字違いの名前”を持つ三吉彩花に憑依したことで複製されたVFにも見えてくる。その存在の危うさがVFとなった母の「本心」を知ろうとすれば知るほど自分を、現実を見失っていく朔也のように、わたしたちを迷宮へと陥れていく。

 どこまでが現実でどこからが仮想空間なのか。貧困と母の死によって仮想空間に現実逃避していく朔也の「俺TUEEE」的展開が始まる辺りからは、誰が生身で、誰がVFなのかわからなくなっていく。

 何が本当なのか。何が現実なのか。どこが「あっちの世界」でどこが「こっちの世界」なのか。そもそもすべてが現実ではない映画という仮想空間に没頭しているうちに今自分が生きている現実すらも信じられなくなっていく。

 そして、藁をも掴むような気持ちで、こう思い始める。

「本当のことが知りたい」

「母の本心」を追い求める朔也と見事にシンクロしていく。

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