生身の俳優から滲み出る「揺らぎ」に視線を注ぐこと
「本心」という言葉には人間の知識好奇心をくすぐる何かがある。袋とじのページを破りたくなるように、暴きたい。剥ぎ取ってみたいという欲動に駆られる。それもまた、わたしたちに「心」があるからなのだろう。
「真実は、本心はどこにあるのか」
本作は俳優がVFを演じていることで逆説的に人間とAIの決定的な差違にも気づかせてくれる。それは「心」を持つ生身の俳優たちから滲み出るスピリチュアルな「揺らぎ」だ。わたしたちは「情報」ではなくその「揺らぎ」に共鳴し、心を動かされているのではないだろうか。
ラストに提示される、VFとなった母の言葉を本心と受け取るか、それとも——。
その答えはたぶん、あなたの「本心」だけが知っている。
(文・青葉薫)