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「つながっていないようでつながっている世界」と
平山の”植物的な生き方”

© 2023 MASTER MIND Ltd.
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しかし本作には、小津作品にはあまり見られない要素も登場する。それが、植物にまつわるモチーフだ。

平山は朝、必ず霧吹きで観葉植物に水をかけてから出勤することを日課としており、仕事中に小さな植物を見つけると、そっと掘り起こして家に持ち帰る。また、彼が読んでいる本も、幸田文の『木』やウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』など、植物をモチーフとした小説が多い。

なぜ植物なのか。この謎に答えを与えてくれるのが哲学者エマヌエーレ・コッチャの『植物の生の哲学』だ。

コッチャはこの本で、人間を中心に構築されてきた従来の哲学に対抗し、新たに植物中心の哲学を構築している。彼によると、植物は太陽光と水だけで生きることができるため、動物のように他の生物を必要としない。加えて、彼らが光合成で生み出した酸素は動物たちが生きるエネルギーとなる。つまり植物は、その生を通して世界と混ざり合い、世界を創り出しているのだ。

こういった”植物的な生き方”は、平山の生き方にも見出すことができる。例えばトイレ掃除という職業は、業務は単調ではあるものの、社会になくてはならないエッセンシャルワークだ。またルーティーンを頑なに守ろうとする平山の生活も、同じ場所で生を全うする植物に似ている(こういった平山の生き方は、「10段階の9」などと、自身の感情を定量化しようとする同僚タカシの生き方と対照的に思える)。

平山の”植物的な生き方”は、本作の世界観を読み解くカギにもなる。例えば姪のニコとの会話シーンでは、彼女が平山に母親となぜ折り合わないのかと問いかける。これに対し平山は、世の中には無数の世界があり、つながっているようでつながっていない世界がある、と答える。

「つながっているようでつながっていない世界」があるということは、裏を返せば「つながっていないようでつながっている世界」もあるということだ。現に、平山の日常は、昼食時にいつも鉢合わせるOLや、トイレの棚の隙間に隠された紙きれで行われる見知らぬ相手との○×ゲーム、そして路上でダンスを踊るホームレスなど、無数の「つながっていないようでつながっている世界」の集積で溢れている(生物学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュルの言葉を借りれば「環世界」ということになるだろう)。

つまり彼は、自らの幹を大きく伸ばして「つながっていないようでつながっている世界」に触れるとともに、そういった世界を寡黙に受け入れ続けているのだ。そして、こういった平山の生き方は、ヴェンダースが考える映画の本質にも大きく関わっている。

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