日本芸能史に残る「伝説の記者会見」は? 記憶に残る名言(1)天才の生き様に鳥肌が立つ…人生を賭けたギャグ

text by 編集部

2025年1月27日、中居正広氏の女性トラブルで揺れるフジテレビが10時間に及ぶ会見を実施、世間で大きな話題を呼んだ。このように記者会見は、企業や有名人の今後を左右する「一世一代の大舞台」となることが少なくない。そこで今回は、タレント・俳優が開催した名記者会見を紹介。悲劇の会見から抱腹絶倒の会見まで、詳しく解説する。第1回。(文:編集部)

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2つの会見から垣間見える
揺るぎない芸人魂

ビートたけし

1999年の北野武
1999年の北野武監督【Getty Images】

 芸能人の記者会見といえば、絶対に外せない会見がある。ビートたけしが1986年に開催したフライデー襲撃事件の記者会見だ。

 まず、フライデー襲撃事件についておさらいしておこう。フライデー襲撃事件とは、ビートたけしが弟子のたけし軍団とともに写真週刊誌『フライデー』を襲撃し現行犯逮捕された事件のこと。発端は、同誌の契約記者の執拗な取材により、たけしの交際相手がケガを負ったことだと言われている。

 たけしは、事件直後に記者会見に参加。鋭い眼光で記者たちをけん制し、たけし軍団を引き連れて襲撃した自分の弱さを認めつつも、「やったことは、白鷺を鉄砲で撃ったと思ったら、特別天然記念物のトキを撃っちゃったようなもの」などと、時折ジョークを交えながら記者たちの質問に回答し、世間をあっと言わせた。

 さて、たけしと言えば、もう一つ忘れてはいけない会見がある。1994年に行われたバイク事故後の退院会見だ。

 8月2日の深夜、酔った状態でミニバイクを運転していたたけしは、新宿区南元町の都道で右カーブを曲がり切れずにガードレールに接触転倒。右側頭部頭骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で長期入院が必要と診断され、当初は命すら危ぶまれる状態だった。

 そんな事故から1ヶ月半に行われた会見は、まさに衝撃の一言だった。重度の顔面麻痺により、大きく右に歪んだ顔に、焦点の合わない目元。芸能人復帰は無理だろうー。誰もがそう直感した。

 しかし、程なくして、そんな心配は杞憂だったことが分かる。「(事故の原因について)軍団がブレーキに仕掛けをしたんじゃないかと思ってる」「顔面麻痺が治らなければ、顔面麻痺ナスターズ※というのをやる」と、土俵際ぎりぎりいっぱいの自虐ネタを飛ばし、芸人魂の健在をアピールしたのだ。

 なお、たけしは、後年、自身の出演番組で、この記者会見を「お笑い芸人として一世一代の舞台を外した」と語っている。

「(記者会見)歩いて行っちゃったんだよ。あれは絶対車いすで行かなきゃいけなかったんだ。で、終わって走って帰るんだ(笑)」

 不世出のお笑い芸人、ビートたけし。その芸人魂にただただ敬服するばかりだ。

※1950年代に一世を風靡した音楽グループ「和田弘とマヒナスターズ」にかけたギャグ

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【了】

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