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映画史に残る大喧嘩…監督VS役者のガチバトルが生んだ傑作映画(4)恐るべき昭和…名優をイジメ倒した監督とは

text by 編集部

”胸を打つ傑作”を共に造り上げる、監督、共演者、スタッフ。しかしその裏では、厳しい指示出しや、過酷な演技指導があった。罵声が飛び交い、周りをヒヤヒヤさせ、現場をギスギスした空気に包み、更には”被害”と告白する共演者までー。そんな撮影の裏側があるからこそ、傑作を作り出した、監督VS共演者のバトルエピソードを5選紹介する。

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「自分、不器用ですから」過酷な指導で生まれた大物名俳優

『森と湖のまつり』(1958)内田吐夢VS 高倉健

主演・高倉健【Getty Images】
主演高倉健Getty Images

上映時間:113分
製作国:日本
監督:内田吐夢
原作:武田泰淳
脚本:植草圭之助
キャスト:高倉健、三國連太郎、福島卓、藤里まゆみ、香川京子、有馬稲子、薄田研二

【作品内容】

武田泰淳の同名小説と基に。内田吐夢監督によって映画化された本作。北海道の阿寒地方を舞台に、アイヌのために闘う青年・風森一太郎(高倉健)と、その存在を知った女流画家・佐伯雪子(香川京子)の葛藤を中心に、滅びゆく民族・アイヌの悲哀を描いている。

【注目ポイント】

監督を務めた内田吐夢は、岡山の和菓子屋の三男に生まれるが、尋常小学校を中退し、「トム」というあだ名で不良グループとつるみ、それが芸名となる。映画界に身を投じるにあたり、勘当を言い渡された内田は、いくつかの映画製作会社を渡り歩いた後、日活に入社する。しかし、水が合わず退職。

戦中の満州に渡り、満洲映画協会に入るが、ソ連の満州侵攻が起き、当地で敗戦を迎える。その後、内田はソ連映画の日本語版や中国語版を製作していたが、ソ連の撤退後、今度は中国の国共内戦が激化する。1953年に帰国、翌年に東映に入社し、監督業に復帰するという数奇かつ壮絶な人生を歩んでいる。

自身の人生経験はその作風にも影響し、社会的弱者に光を当てる作品を多く手掛けており、本作もその一つだ。この作品で主役に抜擢されたのが、1955年に東映ニューフェイス2期生として入社した期待のホープ・高倉健である。

高倉にとっては、デビューわずか3年にして巡ってきた大役だったが、待っていたのは、内田によるシゴキだった。それは共演した三國連太郎も「健さんが固かったとはいえ、それにしても残酷なイジメ方だった」と回想するほどだ。

温厚な高倉に対し、連日のシゴキや撮り直しの日々に怒りを爆発させ、職場放棄寸前のところまで追い込むと、高倉に対する演技指導が入る。その繰り返しだった。しかし高倉はセリフ回しだけではなく、表情による演技を学んだのは、内田の教えだったと振り返り、「俳優として生きてこられたのは内田監督のお陰」と謝意を述べている。

さらに高倉は、自身の回想録で、仕事を離れた時の内田はとても優しかったこと、また、「活字を読まないと、顔が成長しない。だから、時間があればあらゆる本を読みなさい」と教えを授かったことも明かしている。

「自分、不器用ですから」が口癖だった高倉。しかし、その表情や立ち振る舞いだけで魅せる演技には、内田の教えが根底に生きているようだ。

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