映画史上最も救いのないラストは? 最悪の結末を迎える洋画(1)箱の中に生首が…後味の悪さが半端ない傑作
残酷、理不尽、悲劇…。後味の悪いエンディングを迎える映画が、我々に与えてくれるものはなんだろうか? 刺激や教訓はあれど、できることなら救われてほしいと願ってしまう。しかし一方で、バッドエンドの映画に魅了されてしまうのも人の性。そこで今回は、史上最も残酷な結末を迎える海外映画を、5本セレクトして紹介する。(文・市川ノン)
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後味の悪さだけが残るトップクラスの胸糞映画
『セブン』(1995)
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
出演:ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、グウィネス・パルトロー、R・リー・アーメイ、ケヴィン・スペイシー
【作品内容】
退職間近のベテラン刑事・サマセット(モーガン・フリーマン)と若手刑事のミルズ(ブラット・ピット)は、殺人現場に駆けつける。現場の冷蔵庫には「暴食」という文字が書かれてある。その後、別の殺人事件が発生し現場に駆けつけると、そこには「強欲」と書かれたメモがある。
サマセットは一連の事件は同一人物の仕業だと判断。犯人はどうやら聖書にある「7つの大罪」を意識しているようだ…。
【注目ポイント】
本作のラストへの道のりを詳述していこう。キリスト教の7つの大罪に合わせて、殺人を行なっていく犯人(ケヴィン・スペイシー)は「嫉妬」と「憤怒」という2つの罪を残して自ら警察に出頭する。
「残りの死体を教える」と言う犯人とサマセットとミルズが向かったのはひと気のない荒野だ。すると、荒野に宅配の車がやってきて小さな箱を置いていく。
サマセットが箱の中身を見るとそこに入っていたのは、ミルズの妻トレイシーの生首だった。犯人はトレイシーとミルズの幸せそうな生活に嫉妬し「私も罪人だ」と白状する。
怒りで狼狽えるミルズは犯人に銃口を突きつけるが、サマセットは「ここで撃ったらお前の負けだ」と諭す。つまり、「嫉妬」に囚われたのは犯人、そして「憤怒」に囚われたのはミルズだったのだ。
飄々とする犯人を前に、理性を保とうとするも怒りを隠せないミルズ。幾度か逡巡した末、とうとう彼は犯人を撃ち殺すのだった。
デビット・フィンチャーの初期の傑作として名高い本作だが、「胸クソ映画」としても史上トップクラスの知名度を誇っている。大切な人を殺されたとなれば、犯人を目の前にして復讐心に歯止めをかけることは難しい。現に現実の殺人事件でも、「犯人を殺してやりたい」と語る遺族の言葉がしばしば報道される。
しかし、本作のラストのように、復讐の舞台が相手によって巧妙に仕組まれた場合、話は別だ。復讐相手に向かってまんまと引き金を引く行為は、大切な者を奪われた喪失感と敵の手のひらで踊らされるやるせなさ、ふたつの意味で屈辱的な事態を引き起こす。
この殺人はミルズにとって、なんの救いにもならない。カタルシスのない空虚な復讐であり、観客もまったく腹落ちせず、後味の悪さだけが残るのだ。そして、犯人が死ぬことで動機も正体もわからないまま人間のドス黒い部分だけが浮き彫りなって、映画は幕を閉じる。
しかし、この判然としない感情と不気味さは、現実が時に我々に強いる理不尽さにどこか似ている。映画的なご都合主義ではなく、現実がもつ残酷さを真正面から描いたフィンチャーは、この上ないリアリストなのかもしれない。
(文・市川ノン)
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