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悲惨すぎる…実在した最悪の事故がモデルの邦画(2)小便を漏らしながら凍死…日本史上未曽有の遭難事故とは?

text by 編集部

交通事故に航空機事故、そして原発事故―。これまで数々の大惨事が日本列島を揺るがしてきた。一方で、歴史に残る事故は、たびたび映画の題材となり、観客にカタルシスをもたらしてきたのも紛れもない事実だ。今回は国内で起きた事故をテーマにした映画を5本セレクト。映画の見どころに加えて、史実も解説する。(文:編集部)

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「天は我々を見放した…!」陸軍兵士たちを襲った“白い地獄”

『八甲田山』(1977)

主演の高倉健【Getty Images】
徳島大尉役の高倉健Getty Images

上映時間:169分
監督:森谷司郎
原作:新田次郎『八甲田山死の彷徨』
脚本:橋本忍
出演:高倉健、北大路欣也、島田正吾、加山雄三、丹波哲郎

【作品内容】

 日露戦争開戦直前。零下40度でも戦えるロシア軍との戦闘には雪や寒さに慣れることが必要と考えた旅団長の友田少将(島田正吾)と参謀長の中林大佐(大滝秀治)は、弘前第八師団の第四旅団本部で会議を開催。八甲田での雪中行軍演習が決定した。「雪の八甲田を歩いてみたいとは思わないか」という友田少将の言葉に恐れおののく青森第五連隊大尉の神田(北大路欣也)と弘前第三十一連隊大尉の徳島(高倉健)だったが、上官の命令には逆らえない。かくして、雪すさぶ八甲田山への地獄の行軍が幕を開けた-。

【事件・作品概要】

 青森市南部にそびえる八甲田山。この山は、冬には2m近くの雪が降り積もるとされ、国内でも有数の豪雪地帯として知られている。そんな八甲田山で悲劇が起きたのは日露戦争開戦直前の1902年のこと。寒冷地でのロシアでの戦闘を想定した行軍に参加した日本青森第五連隊総勢210名が遭難し、なんと199名もの兵士が命を落とした。

 本作は、新田次郎の『八甲田山死の彷徨』を原作に、日本史上未曽有の山岳事件を描いた映画である。脚本は『七人の侍』(1954)や『砂の器』(1974)など数々の名作を手掛けた橋本忍で、監督は森谷司郎が務めている。
 
 高倉健に三國連太郎、北大路欣也、丹波哲郎と、当時の日本を代表する豪華キャスト陣が出演している本作。あまりの内容の暗さから、公開前は、ヒットしないのではないかと映画関係者から危惧されていたというが、キャスト陣のネームバリューやテレビCMによる宣伝効果もあり、興行収入25億円という空前の大ヒットを記録した。特に神田大尉が叫ぶ「天は我々を見放した…!」というセリフは、当時の流行語になったという。

 とはいえ、内容はやはり陰惨だ。特に、兵士たちが同じ場所をぐるぐると回っているシーンや、兵士がズボンのファスナーを下ろせずに尿を漏らしながら凍死するシーンの恐ろしさはトラウマもので、とても大衆ウケした作品とは思えない。特に強烈なのが、発狂した兵士が服を脱ぎ、ふんどし1丁で凍死するシーンだろう。これは「矛盾脱衣」と呼ばれる雪山特有の現象で、血管収縮によって身体を温めようとする人体の働きが過剰に行われることで脳が暑いと錯覚することが原因と言われている。

 そして、本作を語る上で外せないのが、助監督が「寿命が2年縮んだ」と語るほどの過酷なロケだろう。何を隠そう本作、史実同様、冬の八甲田で撮影されているのだ。しかも監督の森谷とカメラマンの木村大作は、一切の妥協を許さない。現場では、「吹雪待ち」にキャスト・スタッフを雪の中4時間放置したり、より良い画を求めて湖に飛び込んだりとやりたい放題で、多くのキャストが凍傷にかかったという。また、裸で凍死する役を演じた原田君事に至っては、全身が紫色になるほどの凍傷を負い、撮影後数日は起き上がることができなかったのだとか。正直、1人も死者が出なかったのが奇跡としかいいようがない。

 なお映画では美談になっているものの、史実では、出発前日に宴を開いたり手ぬぐい一本だけ持って行軍に参加したりといった明らかな準備不足が事故の引き金になったようだ。読者の皆さんも「雪中行軍」の際はくれぐれも気をつけていただきたい。

(文:編集部)

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