ピクサー創始者を心酔させた宮崎駿の“偉大さ”とは? スタジオジブリが世界の映画人に与えた影響を考察【シネマの遺伝子】
text by 柴田悠
映画『君たちはどう生きるか』が絶賛公開中の宮崎駿。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』と、国内の興行収入記録を塗り替え、日本のみならず世界を代表するアニメーション作家である。本稿では宮崎と盟友であるピクサー・アニメーション・スタジオの創設者ジョン・ラセターとの40年来の親交にスポットを当て、その影響関係を紐解いていく。(文・柴田悠)
CGアニメーションの雄、ジョン・ラセター
まずはじめに、ジョン・ラセターと彼が創設したピクサー・アニメーション・スタジオについて詳しく紹介しよう。
映画の聖地ハリウッドに生まれたラセターは、子供の頃から『鉄腕アトム』『マッハGoGoGo』など、日本のアニメやマンガに慣れ親しんで育ったという。
高校卒業後は、アニメーターを志し、新設されたカリフォルニア芸術大学のアニメ課程に第1期生として入学。在学中は、『きつねと猟犬』(1983年)や『ミッキーのクリスマスキャロル』(1983年)など、ディズニー映画の作画を担当している。
そんなラセターがCGに目覚めたのは、大学を卒業してからのこと。ディズニーに就職した彼は、CGを駆使したSF映画『トロン』を見て可能性を感じ、アニメーターのグレン・キーンとともに短編アニメ作品『Wild Things』を発表するが、CGの台頭に危機感を感じたディズニー社によって解雇されてしまう。
その後、VFX企業であるILM(インダストリアル・ライト&マジック)社のコンピュータアニメーション部門に入社。そして本部門を前身として、ピクサー社が創設されることになる(設立には、Appleを退社したスティーブ・ジョブズも関わっている)。
その後しばらくはCG専用のコンピュータを販売していたが、売上が芳しくなかったことから、1990年にアニメーション制作会社に転身。
1995年に世界初のフルCGアニメーション作品『トイ・ストーリー』を発表し、興行収入3億7000万ドル以上の大ヒットを記録。以降は、『バグズ・ライフ』(1998年)、『モンスターズ・インク』(2001年)、『ファインディング・ニモ』(2003年)と快進撃を続けることになる。