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名曲が高音質で蘇る…福山雅治自身が監督を務めたワケ。映画『FUKUYAMA MASAHARU LIVE』考察レビュー

text by ZAKKY

日本を代表するアーティストの一人・福山雅治が2023年の夏に開催した自身のライブを映画化した「FUKUYAMA MASAHARULIVE FILM言霊の幸(さき)わう夏 @NIPPON BUDOKAN 2023」が公開中だ。今回は本作のレビューをお届けする。(文・ZAKKY)<あらすじ 考察 解説 評価 レビュー>

魅惑の低音ヴォイスが高音質で堪能できる

©︎2024 Amuse Inc.
©︎2024 Amuse Inc

「あの夏の日の少年は かつてのわたしだった…」

この言霊をテーマとした、福山雅治のライブが、2023年のある夏の日、日本武道館にて行われた。この映画は、その模様を余すことなく映し出したドキュメンタリーであり、フィクションも交錯させた作品である。

物語は、1人の少年が福山雅治の同ライブに向かうシーンから始まる。何か、悩み事を抱えているのか、どこか物憂げな表情だ。おそらく、ライブ鑑賞自体が初めてだろうと思わせる緊張した表情の少年が席に着く。

すると、バンドメンバーたちがステージ上に登場。この時点で、会場からは大きな拍手が。そして、暗転。いよいよ、我らが福山雅治が登場し、オーディエンスからは割れんばかりの大歓声と拍手喝采が。

アコースティックギターを手にし、始まったパイロット曲は、そう、『少年』である。やさしく語りかけるように歌う福山。「ただ 少年だった」という一節が、切々と胸を打つ。かつて、「10代限定LIVE」を慣行した際大きな反響を得て、ティーンエイジャーからも絶大な支持も不動にさせた名曲である。

まず、この時点で注目したいのは、ドルビーサウンドで聴く、歌声の心地良さだ。昨今では稀な存在とも言える、ダンディズム溢れる低音の持ち主である福山。そして、その低音であるからこそ活きる、芯がしっかりとしたファルセットヴォイス。そんな彼の歌声は、ドルビーサウンドと非常に相性がよく、ライブ会場で聴くのとはまた違う趣きが映画館では味わえる。

福山は高校性のころ、ヤンキーたちになめられないようにと、低く、ドスの利いた声で話すことを意識していたという。本人としてはネタとして公言している逸話だ。その成果の賜物が彼のキャラクター性、魅惑の歌声を生み出したのだと思うと、福山主演のドラマ『ガリレオ』における湯川先生の言葉を借りれば、「実に面白い」。

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