「酸性雨が鏡になっているんだ」映画『ACIDE/アシッド』ジュスト・フィリッポ監督インタビュー。異色のサバイバル・スリラーを語る
公開中の映画『ACIDE/アシッド』は、超高濃度の死の酸性雨が降り出した世界を舞台に、極限状態に陥った人々のこの世の終わりからの脱出劇を描く異色のサバイバル・スリラーだ。メガホンをとったジュスト・フィリッポ監督のインタビューをお届け。作品に込めた思い、独特の作劇スタイルについてたっぷりと語っていただいた。(取材・文:ナマニク)
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【著者プロフィール:氏家譲寿(ナマニク)】
文筆家。映画評論家。作曲家。日本未公開映画墓掘人。著書『映画と残酷』。『心霊パンデミック』サウンドトラック共作。ホラー映画評論ZINE「Filthy」発行人。コッソリと外国の自主制作映画に出演する隠れ役者。
【映画『ACIDE/アシッド』あらすじ】
ある日突然、酸性雨が降り注ぎ、全てを溶かしていく。木や建物、動物を浸食する雨は、人をパニックに陥れ、精神をも溶かしていく。2018年に短編『ACIDE』を制作したジュスト・フィリッポ監督は、今回長編化に当たって、脚本を全て書き直したという。“酸性雨に溶かされる“というシンプルな恐怖を描いた短編とは、全く違った恐怖を描くことになったのだ。
「もっと普遍的な怖さを描きたかった」
短編を長編化する上で心がけたこと
——短編版では酸性雨によるパニックと家族を守るための父親像を前面に出していましたが、長編では家族はもとより、あらゆる人間関係は陰鬱としたものになっていますね。
「脚本を書き直すにあたって、短編にあったキャラクターは一度リセットしたんだ。短編では酸性雨そのものの恐怖を描いていた。でも、長編ではもっと普遍的な怖さを描きたかった。
そこで物語の中心となる一家の娘セルマを中心に据えた。そうすることで“家族を守るべき父親”が”恐怖”し、パニックに陥るというシチュエーションが、娘にとって酸性雨の襲来よりも恐ろしい事態となっていくようなストーリーを組み立てたんだ。父親にとっての恐怖は“家族を守る術を失う”ことだよね。そんな父の様子を見て、娘がどう感じるか? が巧く表現できていたらと思っているよ」
——前作『群がり』(2020)に引き続き本作では環境問題にもタッチしていますね。フィリッポ監督はホラーと環境問題を結びつけることにこだわりがあるのでしょうか?
「欧州では作家主義が強いんだ。反して、ただホラーやSFといった所謂“ジャンル映画”が軽く観られがちなんだよ。でも、私は作家主義とジャンル映画を結びつけて、エンターテインメントとして映画を楽しんでほしいと思っている。
私はパリの大学で映画を学んだが、アメリカやイギリスなどの映画学校で作法的なことを学んだわけではない。でも、だからこそ、自分ができる表現があると思って映画制作に取り込んでいるんだよ」
——そういう意味ですと、ハリウッド映画によく観られる“ディザスター映画”とは一線を画すストーリーになっていますね。最後のセルマの表情は、なんとも言えない後味を残します。
「あの表情に込めた意味は沢山あるんだ。いずれセルマはミシャルのように大人になって責任を負う立場になる。そして、セルマにとってミシャルは重荷になるんだ。立場が逆転するわけだよね。ある意味、観客への警鐘を鳴らしているとも言える。色々なケースがあるだろうが、頼れる親がいずれ子供の重荷になる。厳しいことだけれど、現実でもそうだよね」