“昭和の大スター”最後の大舞台

勝新太郎

勝新太郎
勝新太郎【Getty Images】

 生涯で192本の映画に出演し、人間味あふれる演技で大衆の胸を打った伝説の名優、勝新こと勝新太郎。毎晩のように銀座で豪遊し、映画制作に湯水のように金を使った挙句、14億円もの借金をかかえたり、兄の若山富三郎の遺骨をカメラの前で食べたりと、破天荒で豪放磊落な「昭和の大スター」を地で行くような勝だが、そんな勝も俳優人生を通して幾度となく会見を開いてきた。

 勝を語る上で欠かせない会見が2つある。1つ目は、1990年に発生した「大麻パンツ事件」の記者会見だ。

 1990年1月17日。ホノルル空港に降り立った勝は、下着の中に大麻とコカインを不法所持していたかどで現行犯逮捕される。程なく緊急記者会見を開催した勝は、記者に向けてこう豪語した。

「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」

 勝はその後、ハワイ当局から国外退去処分を受けるが、不服を申し立てて引き続きハワイに滞在。1年4カ月後ようやく帰国の途につく。しかし、“昭和の大スター”の腹はこれでは収まらない。帰りの飛行機でずっとビールを飲んでいた勝は、帰国早々、マスコミを前に「大統領や首相の代わりは出来るけど、勝新太郎の代わりは誰が出来るんだ?」と豪語。記者たちをあっと言わせた。

 なお、勝は、その後の取り調べで、誰に大麻をもらったのか詰問する刑事に対し、「相手の顔は見なかった」とはぐらかし、挙句の果てに「誰かにもらったことにしてもいいけど、そうなるとトップシーンはいいけどラストはおかしくなるよ」と答えたという。この一言で、彼が骨の髄まで映画俳優だったことがわかる。

 2つ目の記者会見は、1996年11月22日に開催された「がん告知会見」だ。黒いスーツにワイシャツ、赤いネクタイとスタイリッシュな姿で現れた勝は、のっけから「ガンと告知された時も、俺はびくともしなかった。座頭市の時もハワイの時もそうだけど、俺は絶壁にいるのが好きなんだ」と、勝新節を炸裂させる。

 そして会見の途中、勝は「タバコはやめた、吸いたくなくなっちゃった」と言うと、言葉とは裏腹に、タバコに火を点けて一口吸ったのだ。

「タバコ辞めたって言ったじゃないですか!」と一斉にツッコむ記者たち。さらに、記者から「お酒はまったく辞めていますか?」という質問が飛ぶと、次のように答える。

「お酒はね、ビールが美味いんだよな。ビールがね、どういう風に美味いかというと、オレンジジュースみたいな美味さ。(病気で)味が変わっちゃったから」

 なお、関係者によると、この時の勝の体調は限界に近く、記者会見はおろかタバコすら吸える状態ではなかったという。実際勝はこの会見の約半年後の1997年6月21日に逝去。昭和の大スターは、最後の最後までスターとして舞台に立ち続けた。

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【了】

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