「自律的に生きること」の大切さ
「猫の国」では「自分の時間」というキーワードが出てくる。ここに着目すると、本作に込められた壮大な哲学的メッセージが浮かび上がってくる。
例えば案内猫のムタは、猫の国を「自分の時間を生きられないヤツの行くところさ」と言っている。また、バロンは「ずっとここにいてもいいかも」と甘えるハルに「君は君の時間を生きるんだ」と檄を飛ばす。
では「自分の時間」とは何なのだろうか。筆者なりに解釈してみたい。
作中のハルは、学校に遅刻したり、好きな人の前でウジウジしたり、やりたいことが見つからなかったりと、気楽でルーズなキャラクターとして描かれている。猫の国の”ふわふわ感”は、まさにそんなハルの性格にぴったりなのだ。
しかしそんな彼女も、最後は自分の意志で人間界に戻り、早起きできるようになるほど成長する。つまり「自分の時間」とは「自律的に動く時間」を指すのではないかと思う。
人間はもともとサボりたい生き物だ。特に何をしなくても生きていけるような環境で自律的に生きるにはエネルギーがいる。しかし、布団に寝転がりながらスマホから流れてくるYouTubeやTikTokをダラダラと見続けている時間が自分らしいかと言えば決してそうではない。明らかに自分の時間を生きていない感じがする。
自律的に生きるのは確かにしんどい。しかしこの作品は、「自分で選んで行動すること」の大切さを教えてくれる。その点、SNSにどっぷり浸かり、流れてくるコンテンツを受動的に消費しがちな令和の私たちには深く刺さる作品といえるかもしれない。