嘘が分かるということは、本当が分かるということ
フミが、「どうして祝先生は、鹿乃子とうまくやれるのでしょうか?」と聞いたとき、左右馬(鈴鹿央士)は「嘘を暴かれるより、本当のことを信じてもらえない方が面倒なんです」と答えていた。「嘘が分かるってことは、本当が分かるってことでしょ?」と。
フミも「そんなふうに考えたことなかった」と言っていたが、わたしも「発想の転換がすごいな」と思った。
『嘘解きレトリック』を観ている友人から、「もしも、鹿乃子のように嘘を聞き分ける能力がある子が近くにいたらどうする?」と聞かれたとき、わたしは「何もしゃべれなくなっちゃうかもしれない」と答えた。
というのも、誰かと話をするときに、いちいち「これは真実なのか?」「これは、嘘か?」と考えたことがないから。もしも、嘘の音を鳴らしてしまったら、相手の心を傷つけてしまうのではないか? と思うと、怖くなる。
そのため、「わたしの言葉で、あの子を傷つけるんじゃないか」「傷つけないように取り繕って。嘘にならないように。それが返って嘘になるんじゃないか」と言っていたフミに、大共感してしまった。
一方、左右馬は鹿乃子と関わるとき、“嘘をつかないように気をつけよう”とは思っていないのだろう。彼はただ“真実を伝えるようにしよう”と考えているだけ。だから、一緒にいてもしんどくならないのだと思う。