親子の確執の原因は?

『法廷のドラゴン』第5話Ⓒ「法廷のドラゴン」製作委員会
『法廷のドラゴン』第5話Ⓒ「法廷のドラゴン」製作委員会

 ただ、熊倉を心の底から嫌っているわけではない。菓子職人としての父を尊敬はしている。しかし、和輝からすると、職人としての義務を果たそうとするあまり、家族への思いやりが欠けているように見えたのだ。

 父のせいで母は苦労ばかり。そんな母が倒れても、菓子を作っている父。「職人だから菓子を作る」という父に反発してしまう。父は父で母を心配していたわけだが、それを伝えないところがまた職人気質である。

 また、父を尊敬するからこその反発もあった。父を越えられない。それが和輝を俯かせていた。一方の虎太郎も、亡くなった父を越えられないという思いがどこかにあった。そのため、和輝の葛藤を聞いて悩むような表情を見せる。

「息子が父を越えたい」と悩むのは自然な感情なのだろうか。それとも虎太郎や和輝のようにある職種に限ったことなんだろうか。
確かに、親を越えていかなければ、技術や能力というのは廃れていってしまうかもしれない。

 しかし、人には向き不向きがある。父とは違う道で才能が開花する可能性だってある。また、全く縁もゆかりもない人が父を越えていく可能性は大いにある。むしろそんなことばかりだろう。

 だから、和輝のように自分に向いている職に就くのもいい。虎太郎のように、父の背中を追い、苦悩しながら成長していくのだっていい。竜美が「『歩』のように一歩一歩進めばいい」と言うが、これは簡単なようでとても難しい。

 自分が進む道だけを信じていたいけれど、人は思っている以上に周りに惑わされる。自分を見つめる、ということが何よりも難しいのかもしれない。

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