再開発に対するそれぞれの思い
表向き、再開発は良いことが多い。が、大きなプロジェクトだけにお金も動く。だからこそ悪い人間も寄ってくる。ある意味、さまざまな欲望が渦巻くプロジェクトと言えるだろう。
ただ、当たり前だが、そこには人の生活がある。こういった再開発の大義名分として言われることが、「未来の子どもたちのために」。しかし、一平も子どものころから通っていた銭湯「高田湯」を営む高田あき子(市毛良枝)は言う。
「私たちもまだ生きている。生きていたいの」
年を重ねて、子どもたちよりも未来は短いかもしれない。でも、その未来をどう生きたいか、選ぶことができてもいいのではないかーー。
難しいところである。大人が自分の願望のために子どもたちの未来を邪魔していいのか、とも言えるし、子どもたちの未来のために大人は全てを我慢しなければならないのか、とも言える。
そもそも、高齢になってくると再開発が終わるのを見届けられるかどうかも分からない。だとしたら、死ぬ場所も自分の望むところではないかもしれない。
難しい。ただ、たくさんの人が納得できる幸せを作るのもまた、政治の役割であるような気もする。