瀬川「巡る因果は恨みじゃなくて恩がいい」
彼女の両親がお金を借りていたのは、鳥山を頭とする当道座ではなかった。けれど、同じように高利貸しで財をなし、そのお金で贅を尽くしたであろう瀬川が許せなかったのだろう。
命までは取られずに済んだが、怪我をした瀬川に松崎は「私はお前らのせいでかようなところに身を落とされたのじゃ!」と迫る。だが、本を正せば、百姓の娘だった瀬川が女郎になったのは両親がきつい年貢に耐えきれず、吉原に売りつけたからであり、領主ひいては旗本も含む武士のせいとも言える。
今から250年近く昔の出来事だが、ハッとさせられた人も多いのではないだろうか。様々な社会の歪みから生じる負の感情はいつだって弱者に向けられる。
「恨みの因果を巡らせても切りがありんせんのでは?」という瀬川の言葉で松崎も目が覚め、吉原で生きる覚悟を決めたようだった。
「巡る因果は恨みじゃなくて恩がいいよ。恩が恩を生んでいく。そんなめでたい話がいい」と蔦重の腕の中で囁いた瀬川。翌日、本を整理していた瀬川はふと『青楼美人合姿鏡』に目が留まり、ぱらぱらと本を捲りながら蔦重が自分に語った夢を思い出していた。
蔦重の最終目標は、自分の本屋を持つことではない。本の力で世間様が吉原を見上げるような場所にすること。ひいては女郎が辛い思いをすることもなく、楽しい思い出をたくさん抱えて吉原を出ていけるようにすることだ。
しかし、吉原が公に「四民の外」とされた今、蔦重がこれから歩む道はもっと険しいものになる。そんな蔦重にとって、多くの人に恨まれている自分は足枷にしかならないと判断した瀬川は身を引くことにしたのだ。