「桃色争議」とはなんだったのか
第3週のメインテーマとなった「桃色争議」は実際に笠置シヅ子が巻き込まれた事件であった。
「ブギウギ」の幼少時代、スズ子が梅吉に連れられて、初めて梅丸歌劇団を観劇するシーンでは、無声映画が流れ、活弁士が登場している。この直後彼女が梅丸歌劇団を受けているので、史実と照らし合わせると1927年だ。そこから映像技術が急速に進歩し5年後の1932年には、トーキー映画に変わるタイミングが到来。これと昭和恐慌がぶつかり、松竹は、仕事が激減した活弁士や楽士の首切りを宣告したのである。
翌年の1933年には少女歌劇部に対しても、一部楽士の解雇ならびに全部員の賃金削減を通告されてしまう。そして、ドラマには登場しなかったが、まずは東京の松竹楽劇部が、男装の麗人、タアキイの愛称で知られた水の江瀧子をリーダーに待遇改善を求め抵抗。笠置シヅ子のいる大阪松竹楽劇団も、トップスターの飛鳥明子をリーダーに争議に参加。高野山に十日間籠城したのだった。
1933年は、1930年の満州事変の成功で、軍部の力が拡大していたころ。危険思想を取り締まる「特高」と呼ばれた特別高等警察の取り調べも激しさを増していた。桃色争議を先導した水の江瀧子も思想犯として特高に尋問されている。世間に名が知れ、警察に知り合いが多かった彼女は一日で釈放されたが、同じ年、「蟹工船」の著者小林多喜二は、特高の取り調べで拷問死している。